[SSS]第54回CBC賞 ~ハンデ重賞の揃目前年戦~ | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。


  過去事例として、あるハンデ重賞で57.0キロ負担馬が現物では、1度も勝てない競馬番組の歴史が存在し年度によっては1着同枠となるケースが散見する場合、JVデータ派、所謂、須田派は、これを即物外形的に数値データとして57.0キロ馬の勝率0%として、単純にぶった切る対象としてしか扱われない。
 しかし、我々戦歴解析な思考は、ハンデ戦での57.0キロ馬について、それがトップハンデ(TH)馬なのか否か、同一ハンデ馬として何頭が対象となっていたか、その同枠馬が1着した際の実ハンデ別のデータなどなど、様々な要素で細分化する。
 基本的に日本競馬に於けるハンデ戦は「精密ハンデ(当研造語で標準用語ではない)」を採用していない。つまり、上位(重い方向)にのみ存在する「カンマ5」というハーフハンデが存在し、下位には、つけてはならない訳ではないようだが、存在実績は無い。
 ハーフハンデ「カンマ5」については、「-0.5」「+0.5」だと両極端に評価が分かれるが、それはそのように主催者が設定しているのだから当然の話である。要するに、その対象が上位人気の部類に入る評価の方向性によって十分説明可能である。
 簡単に言ってしまうと、ハンデも人気も、低い方向に多く誤差が存在するのは「オッズ研究家」や「ハンデ戦専門家」の中ではセオリーなのは言うまでも無い。という話。

 しかし、所詮、0.5キロ、500g内外、率にして1%の話であると同時にマイクロ空間の話である。その優劣判断は、1%だから万馬券が出るか否かと同等と言うのは、論理のすり替えなのか否かの判断は任せる。
 須田派には、ハンデ戦は重い方から狙うがセオリーだと昔から言及しているが、結局、見た目、正論として見える論理も、実際に採用される現場では人気に引っ張られる事になり下がるのと同じで、結果的には、どちらを重視しても、然程、変わらないのである。つまり、ハンデ戦でも定量戦でも、その結果は、人気によるものと大きく偏向しないのである。
 それが、それだけが、「JRAオペレーションの真髄」なのだから、タイムやら指数やら、そこに馬場差や、多種多彩の因子を考慮して多変量解析などという小難しい理論で導出し結果構築されたとしても、単勝1番人気馬の勝数は、同2番人気の勝数を大きく下回る事はないのであり、誤差範囲(手のひら)の中での能力レンジの競合部分の入替に過ぎない。
 だから、どこかの准教授や研究室長が偉そうな物言いで「絶対に」と言及しても、結局は主催者側の手の平の上で、確率に支配されてしまうのである。
 総ての賭け人(ギャンブラー)は、依存してようなしてなかろうが、総ての対象番組の下で「平等」である。これが日本の「公正競馬」の原点であり、働く国民の遊興として賭博が違法性を問われずに現存する根拠として存在しなければならない前提条件で、それもまた、真実ではなく建前でしか無い。
 目前の起こった事象に対して、それが何であれ「安倍が悪い!」「誠意が無い!」「流布を超えた」のと一部だけを切り取ってコラージュして名ばかりの論理展開を纏め上げても、それは破綻の集大成でしか無い事を理解すべきである。未だに存在する「日本人は活字に弱い」 という思込は、出版界の悲鳴を耳を澄まして訊くがよい。だから、一時は革新的と言われたエッグデザインが、この8年間で大きく成長する訳でもなく、次世代に何をすべきかを未だに乗り越える対象である「壁」の定義付を行っているレベル。

 

 「ん?」ここで、何を書きたかったのか失念してしまったので、切り上げる。一応、出目は掲載しておくとする。


日本中央競馬会競馬施行規程第130条第2項の規定により着順が確定後に変更される場合の得点の取扱いについては、変更後の成績にもとづくものとし、シリーズチャンピオンに変動があった場合は、既に交付した褒賞金は返還させ、変更後におけるシリーズチャンピオンに改めて褒賞金を交付するものとする。