今年の「春天」を考える際に、浮上する項目としてステップG2の「揃目開催」というロジックがある。それに対する当研のウエイトについては言及しないが、関連事項にだけ少し触れたいと思う。当該項目と「春天」に前年クラシック対象が存在しない事とは別の舞台装置での話である。
その対象ステップは「阪神大賞典」「日経賞」の事で、このシンクロは、同時創設時に確定し、グレード制導入時も変化は無いから、導入後、3度の判例が存在する訳である。直近は当然、2007年であり、その詳説はしないが馬柱だけはリクエストもあり掲載しておく。
明け4歳が迎撃世代である前年覇者である三冠馬(市)ディープインパクト不在の空間で春天馬となった年度で、当然、対象はクラシック馬で、メイショウサムソンは所謂、2冠馬であった。経路は「揃目開催」とは無関係の「第51回産経大阪杯」で2着枠が「菊花賞」枠であったが、現物のエリモエクスパイアはクラシック経験が無かった。どちらにしても「1着」枠も「2着」枠もクラシック枠で構成された。この春天も当然ながら4月29日(祝)。

その前は1996年で頂点(春天馬)こそ、サクラローレルでクラシック無縁の5歳馬で、1年以上休養の「第70回中山記念」で鉄砲を撃った特殊なスペックで明け4歳で「第44回日刊スポ賞金杯」を制して、次走の「目黒記念」を2着して休養入り。2着がナリタブライアンであり、これが「クラシック」枠を支えた訳だが、それではなぜ、1着でなく2着だったのか?ルドルフの怨念?んな、馬鹿なww

そして、どんなレースにでも一部で、顔を出すひょっこり3冠馬シンボリルドルフの明け4歳時の「春天」になる。このレースについては、新聞馬柱しか無いので掲載しないが、1986年以降にしか対応していないJRAーVANのデータでは、ルドルフ自身の戦歴でしか確認できないものである。

よく言われる「3冠馬2頭が雌雄を決した春天」であり、ミスターシービーは5着であった。2頭は、当時の「単枠指定馬」であったので、同枠馬は存在しなかった。ルドルフは「第33回日経賞」勝歴からのルート。2着のサクラガイセンはクラシック無縁どころか3歳時1勝馬である。経路は、こちらも、揃目開催の「日経賞」。ご存じのように「阪神大賞典」が春天の前フリの座についたのは1987年スダホーク以降である。
