「アネモネS」と「若葉S」の施行場交換 | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

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◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。

 「桜花賞」の最終結論がほぼほぼ確定したので、無駄話を書いてみる。(マスターズの中継が始まるまでの時間潰しである。というのは、この原稿が昨夜から早朝に掛けて書かれた為である)

 「桜花賞」が2場開催と決別し、関東ローカル(第3場)を伴う開催となったのが2003年3冠馬スティルインラブを誕生させた時であり、その日の「忘れな草賞」は「第64回オークス」へは1着馬マイネサマンサを送り込まずに、2着馬を「スイトピーS」経由で3着枠に送り込んだ。この年は○外解放初年度で、Bコースで施行された取消戦であった。
 つまり、この年からの「桜花賞」と、それ以前のものとは別物である訳で、それは「皐月賞」でも同じである。常に似た物探しに夢中になっていると自分の理論に沿ったものだけが目に入り、沿わないものは眼中に無いという理論陥没に至ることがあるから注意する必要がある。サンプルが多い時も手続は異なるが、結局、陥る穴にいるのはである。
 米国では、大谷翔平が大リーグの新しい1頁を開こうとしているが、米国民がこれをジャパニーズ・ベイブルースだと形容するにの相似形短絡論理である。要するにコアにあるのは「ノリ」。
 多因子の空間では細かいことは気にしないのに、因子が僅少だと、些細な事も看過出来ずに拘りの論理を展開する。その極致が「同じことを繰り返す」である。その首謀者は細かい事を気にするほどの知見は無いから、総じて大雑把である点で、ある意味では説得力があるが、そこから派生しる亜流群に至っては、頂けないものが数多いのも事実。
 「桜花賞」はグレード制導入後に2度しか「代替競馬」を施行していないクラシックで、それ以前の古事記を紐解くとキリが無いが、元々、「中山4歳牝馬特別」をルーツとする関東圏の芝1800mの番組であり1945,1946年の中止期間を挟んで、西下し1947年に「第7回」からの3年を京都で施行し1950年より阪神マイルを使用することになる。第12回桜花賞を高峰三枝子のスウヰイスーが制したことは有名。まぁ、蛇足話であっても古事記を紐解いても仕方ないので、話を戻そう。
 1995年が地方解放元年であり、そこで施行された代替開催である。その前年、京都代替の「アネモネS」を6枠で2着したワンダーパヒューム揃目第55代桜花賞馬となり、その翌年は、6枠で阪神の「アネモネS」を3着にしくじったファイトガリバーを桜花賞馬とした。騎手は2年連続の田原成貴
 そして、3場開催となる前年の桜花賞馬が(地)アローキャリーで、同馬のスペックは中山に移設された「アネモネS」をペリエで8着に惨敗した「阪神JF」2着馬である。その時の騎手は池添謙一である。
 こう書くと「アネモネS」が持ち廻り施行のように聞こえるが、そうではなく、施行場交換した番組で交換相手は「若葉S」であるだけの話。交換年は2000年であり、地方解放年は既述の通り1995年の代替開催であった。
 「アネモネS」は1991年新設の歴史の浅い番組で、初代はギムレットの母、タニノクリスタルであった。新設戦を代替開催で施行し2年目を阪神芝1400mで施行し1着枠を桜花賞の3着枠に届けた。それを2000年に中山芝1600mと移設した。交換した「若葉S」は1989年に芝2200mで新設された老舗のOPで、中山芝2000mを阪神芝2000mに2000年に移設。中山施行の頃には(父)トウカイテイオー(1991)やビワハヤヒデ(1993)、ジェニュイン(1995)を出した実績を持つ。阪神移設後はヴィクトリー(2007)を出している。