第65回ダイヤモンドステークス | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。

 古事記)創設時に、4月施行であった事から、その名「ダイヤモンド」を戴いた当該重賞は、別に「宝石の頂点」を意識したものでは無いのは当然だが、酷量頻発の当時であっても、ダービー馬が58.0キロや57.0キロで出走出来るハンデ重賞であった。当時は「東京新聞杯」も芝2400Mで施行されていた軍馬育成時代であったから中山芝2600Mなど特に珍しいものでは無かった訳だ。
 それを「春天」と同じ芝3200Mにしたのが1965年で、それ以降春天馬スピードシンボリが62.0キロで勝つような事もあったが、同馬は前年戦を61.0キロ6着に負けていた。等距離戦を制したからと言って「春天」へのルートが開かれている訳でも無く、所詮、救済戦の域を出る事は無い
 それを証左するのが1984年グレード制導入時のG3評価と、同時に「競走名」のルーツを無視して「1月施行」への移転である。だが、2012年までの「特別競走名解説」には「4月の誕生石」の文言を残していた。
 JRA50th.の2004年に施行距離を芝3400Mに延長した点にも然程、意味は無く、前年4月のリニューアル時の芝3200Mコースを削除して芝3400Mコースを新設したからであるが、当該重賞の為に新設された訳では無い。まぁ、どちらにしても、これらの基礎知識が起用性に深く関与する事は無い与太話であるが、間違っても「最高に硬いダイヤモンド」からレース結果も「堅い」などと言う連想ゲームは、しないように願いたい。

 さて、昨年、一昨年と「AJCC3着歴」から経路した単勝1番人気馬を連年起用した訳だが、「AJCC」からの経路は、2月施行になって、毎年、必ず1頭は存在(多分、特定経路としては最多教だろう)し教唆馬として機能した時期もあったが「1着起用」は無かったが、「AJCC1着馬」出走時でも単勝1番人気では無かったから、句読点の前に配される前置詞みたいなものなのだろう(笑)。
 今年の特別登録馬で見ると、その経路は前年1着現物馬であるフェイムゲーム(牡5)が唯一で、「AJCC」は*3着同枠の12着惨敗馬でTH馬であるが、キーホースは、アドマイヤフライト(牡6)になる。救済されるべきは明け4歳世代か、前年条件を満たした5歳リベンジ世代となる。