「日本経済新春杯」と準PTSD | リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

リゲイン総合研究所~競馬番組「表」なんて実在しない~

◆片岡勁太は実在しない「番組表」という虚像を読み解こうとするが我々は「競馬番組」の実体を解き析かす点で全く別物である。日本中央競馬会は、その名の下で施行される競馬番組の中で「何が勝っても構わないレース」の存在を許諾する事は皆無である。

(以下はSNSの中で2007/01/11に書いた記事に一部加筆したものです。)

平成7(1995)年1月17日(火)午前5時46分52秒

 今年も「日経新春杯」が施行される時期が来た。報道メディアでも「あれから12年」的番組が放送されるだろう。しかし、身に覚えの無いない人々の心からは、少しずつ風化してしまうのだろうかと毎年同じ事をこのレースに触れるにつけ同じフレーズで書き続けている。多分、来年も同じことを書いているだろう。読み飽きた方は読み跳ばしてください。
 実際は施行時期が1回京都8日目から2000年に6日目に移設され「あれから12年」は来週のことだろうが、1995年1月22日「第36回AJCC」と同日施行の設計だった「第42回日経新春杯」は中止され翌週の1月28日(2京1)に代替競馬を施行した。

 6433人の尊い命を奪い去った「'95阪神淡路大震災」は我々関西人の心に今でも疼く治癒しない傷(準PTSD)を残して行った。天災、人災の違いはあろうが「いつかまた起こるのでは..」と言う括りにおいてNY市民と共有するanxietyを重斤量のように背負っているのである。

 そして、新潟地区を襲った「新潟・中越地震」、インドネシア・スマトラ沖地震によって発生した「TSUNAMI」...これら自然の警告を真摯に受け留める為の準備がまだ人類には出来ていない。目糞防衛庁が鼻糞防衛省に看板を掛けかえられたといっても、我々の身を守ってくれる訳ではない。...生かされている我々はただ祈るのみである...合掌。

JRA創立50周年である2004年(奇しくも2004年はスマトラ島沖地震が起きた年である)に名馬で振り返る50年・時代を駆け抜けた名馬たちという企画で52番目、つまり最後に挙げられた馬がテンポイントであった。その最終戦歴が「1978年第25回日本経済新春杯」であることを記憶する人はもう少なくなっただろう。私もリアルタイムで見た訳ではないから当然と言えば当然かもしれない。

 「有馬記念」を快勝後、このレースを年明け最初の参戦としたテンポイントは、ここから海外遠征を予定していた。当然のように1番人気に推されたテンポイントが風雪の中で負担した重量は66.5キロであった。今では考えられぬ酷量と言える。JRAはこの悲劇を忘れぬように2004年「有馬記念」当日に「テンポイントメモリアル」を「有馬記念」と同じ中山芝2500mで施行したのである。忘れてはいけないことが我々人類には沢山あるようだ。

(追記)そして、天罰は再び日本国を襲う。平成23(2011)年3月11日14時46分18秒「東北地方太平洋沖地震」...被害者らが自ら撮影した動画がメディアの争奪戦、youtubeによって流され続ける様は、対岸の火事のような扱われ方で困惑する。

 あれから20年・・・的なサインを主催者JRAが採用するはずがない。