昨日の夜にNHKBSで放送された番組 BS世界のドキュメンタリー
『共感と肯定のサマーキャンプ 〜 “ クィア “な仲間たちとの出会い 』を
録画してあったので、今日観ました。
クィア(Queer)は、ググった AI 解説では、
クィア(Queer)とは、元々は「奇妙な」「風変わりな」といった意味の
侮蔑的な言葉でしたが、現在では性的マイノリティ当事者が、自己を肯定
的に表現するために用いる言葉として使われています。1990年代以降、
性的マイノリティ当事者が、自らを指す言葉として「Queer」を積極的に
使い始めました。これは、既存の「LGBT」などのカテゴリーに当ては
まらない、より多様なセクシュアリティを持つ人々を包括的に表現する
ためです。
と書かれてました。
番組は2024年にオランダで制作された番組で、それぞれに性自認や性的
指向に悩みやトラブルを抱えている人たちがサマーキャンプに集まって、
最初はなかなかこころの内の思いや悩みを打ち明けられず黙り込んでし
まったりキャンプに集合したその日のうちに母親に帰りたいと電話する人
がいる中で、少しずつお互いの思いに共感し、それぞれのこころを肯定し
ていくという内容で、参加した一人のトランスジェンダー(FtM)の子に
フォーカスした構成になってました。
番組全体の中で、凄ーく共感したのは、その中で、ひとりが、
「自分のことを姉に話したときに、自分はゲイだとは言わなかった、ただ、
僕が恋するのは男性だと伝えた」
と話してたこと。
確かに、「LGBTQ+」って、レズビアン、ゲイ、バイセクシアル、トランス
ジェンダー、Questioning(Queerークィア)そしてそのほかの多様な性指向
や性自認を包括する意味での + 、なんだけど、その言葉を発すること自体
がすでに自分自身をマイノリティ化し、世間の人たちとは違う宣言するこ
とになってしまっていて、より自身を差別化、孤立化させている気がする。
ほかの人たちに、なんのこだわりや構えることなく、性自認や性的指向を
伝えられる、いや、そんなことなど話をすることもなくフツーにひとりの
人として生活できる世の中になって欲しい。
そして、参加者への質問があって、その質問に同意だと思ったら、中央に
引いてある線を越えて反対側に進んでという場面では、
「容姿や性的指向や性自認を理由にいじめを受けたり悪口を言われたり嘲笑
された経験のある人」
という質問では、ほとんどの人が線を越えていたし、自傷行為をしたことの
ある人もほとんどだった。
家族に打ち明けられず、また打ち明けても認めてもらえず自分の居場所がな
いと感じている人も多くいて、ある人は泣きながら線を越えていました。
辛い、悲しい、確かに自分のありのままはこうだと伝えているのに、理解
されないどころか否定されてしまうのは。この否定は、その人の持つ個性
の、さらには人格の全否定に繋がるわけで、存在自体が否定されることに
なってしまう。
わたしは、「頭では理解できても生理的に受け入れられない」と言われ、い
ま、決断して家族と離れて一人で生活していて、他人の眼を気にすることも
なく、ありのままの、素のままの自分でいられる居場所がここにある
ことが、どんなに幸せなことかj実感しています。
たしか、一年以上前だったか、「わたしには居場所がない」ってブログ記事
書いたことあったなぁ、、、。
FtMの子が「初めて髪を切って男の子らしい髪型になった時気分が良くって
思わず笑みがこぼれた」って。わたしは、逆だけど、「髪は女のいのち」的
な感覚の持ち主だから、髪が伸びて後ろで結べるようになった時、本当に
嬉しかった。
「胸の手術とテストステロン(ホルモン療法)を始めたいけど順番待ちで2年
かかる」って、こういうのは日本の方が早いのかなぁ、、、、。
それぞれが鏡の前に立って自分自身と向き合う場面では、自分を見つめられな
くて逃げ出してしまう子や自分のことを語れなくてパニックになって泣き出し
てしまう子がいて、、、。
そうだよね、鏡って正直に自分を映し出してしまうから、自分のイヤなところ
やコンプレックス、こころの自分と目の前の鏡に映る自分との違和感を容赦な
く叩きつけられるからね。
わたしは、もう慣れちゃたかなぁ、、、。NEGATIVE CAPABILITY やそれこそこの
前の西原さつきさんの講演での「コンプレックスも個性」や「目の前の自分を
大切に」ってことで。
今の自分を責めすぎると、存在できなくなるから、、、、。
番組でフォーカスされたFtMの子は、結局途中で帰ることになってっしまった
けど、キャンプの運営者からは「この日までキャンプにいられたことはそれだ
けでもあなたにとって成功体験だった」って言われてたし、その子も、
「うちに帰って母親と会えるのは嬉しいけど、このキャンプで知り合った仲間
達と離れるの寂しい、またきっと再会したい」って言っていた。
キャンプが終わった後に、それぞれが家族と再会した時の顔が、出発前の不安
そうな様子だったのに比べて、明らかにはるかに晴れやかで穏やかな顔だった
事が、何よりも良かったし嬉しかった。
こういった番組が存在しなくてもいい時、なんのこだわりやためらいを感じるこ
となくお互いを尊重して信じあって認め合って生きていける時が来るといいなぁ
って思いました。