裸のヴィーナス☆運命の出会いから衣を脱ぐまで | フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京

フィレンツェ観光ガイド 加藤まり子 in 東京

フィレンツェ観光ガイドの資格を2016年に取得しました。
現在は都内で美術の鑑賞の仕方を教えています。
詳しくはホームページから。
http://mariko-no-heya.com/

大好きなボッティチェリの作品に会いたい

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(ボッティチェリの自画像)

その一心で言葉もわからない外国に来てしまった昨年。

前回はボッティチェリ作の『春』を通してフィレンツェに来たきっかけを書いてみました。





最初にイタリアに来た時は『春』のヴィーナスに心を奪われていました。

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あれから1年・・・


計4回くらいウフィツィ美術館を訪れました

『春』の魅力はそのままに、
『ヴィーナスの誕生』により目がいってしまう自分を発見

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有名な作品ですが、実は『春』ほどまでには惹かれていなかったのです。


『春』がすべてを知ってそれを黙して語らないのに比べて
『ヴィーナスの誕生』は無垢で純真で何も知らないといった風情。

この無垢さがなんとなく理解できなかったのかもしれません。





さて突然ですがここで問題です。


これはティツィアーノ作『聖愛と俗愛』という作品ですが、
さてこの絵のどちらが聖愛でどちらが俗愛でしょう?




なんと右の裸の女神が聖愛を表すのです。

西洋美術では裸は
真実
包み隠さない
といったことを表します。


『ヴィーナスの誕生』もその象徴。

会社という衣を脱ぎ
理知武装している衣を脱ぎ
社会的地位という衣を脱ぎ
自分を守っていたものを脱ぎ去ったこの1年。


自分を取り繕っていた衣を脱いだ今『ヴィーナスの誕生』のように裸で立っている自分を発見しつつあるのかもしれません。