8/11早朝~8/15夜までの5日間の帰省・・・
長いようで短い時間でしたが、家族や友人達と過ごして帰ってきました。
父は、5月の連休明けに救急車で病院に運ばれ、未だに退院の目処が立たず・・・
80日もの間、飲まず食わずで点滴治療だけというのもあり、骨と皮だけの姿へと変貌しておりました。
でも、まだ頭だけはシッカリしているので、それだけが救い・・・
気持ちだけは元気!
そんな父なのですが・・・
8/11の昼食から、やっと全粥が食事に出されるようになりました。
白い米粒は、父にとって涙が出るほど嬉しかったらしく・・・
家から持ち出した梅干の果肉と一緒に口に入れておりました。
おかずは・・・全てミキサーにかけられたドロドロのもの・・・
それでも、「味付けは良い、美味しい」と、食べていた父の姿が愛しかったです。
母は、私が居ない時は・・・
実家近くの大門駅から一駅、ここ高岡駅から電車に乗り・・・
万葉線です。
車内は、こんな感じ・・・
土日になると、新湊出身の立川志の輔師匠のアナウンスで、市内観光名所を語りながら「次は○○駅~」と案内されています。
実は・・・私も、この電車で志の輔師匠の出身校である高校へ通っていたので、懐かしかったです。
もちろん、その当時は、こんな近代化されている電車では無かったですけどね。
電車に乗っていると、懐かしい光景が・・・
このバス、電車の絵が描かれているバス“アラポッポ”
「アラピア」という健康ランドへの送迎用のバスなんです。
アラポッポ専用のバス停も、市内近郊あちこちにあります。
高岡駅から電車に乗り、約15分で下車・・・
5分位歩いて・・・父が入院している病院に辿り着きます。
車で行けば、片道10分位で行ける病院なのですが・・・
JRや電車を使うと片道30分・・・
近いようで遠い病院通いなので、母にも無理はしないよう伝えました。
そして・・・友人との語らい。
久しぶりに以前一緒に仕事をしていた仲間と、高岡の洒落た居酒屋で合流。
かなり深い話をしていたので、撮影をしている暇が無かった・・・
結果、9月になったら東京で再び合流する事に。
そして・・・同窓会。
いやー皆、若い!
20歳のまんまなんですよ・・・マジで。
よーく見たら、顔のシワは増えているような気がしたけど全く問題なし。
結局、何だかんだ言っても、皆幸せな結婚生活を送っているっていうのが、結論でした。
後は・・・やはり幼児相手に現場仕事をしているっていうことかな。
とんでもなく若いエキスを吸収していますから・・・
「ちぇんちぇー」って言葉を聴きたくて、老体に鞭打って仕事をしているって言っていました(笑)
マジ大変ですよ・・・
この炎天下の中でも、幼児と駈けずりまわっているんですから。
子供を預けて、仕事をしているママたち。
保育園、幼稚園の先生に感謝ですよ。
そして・・・お墓参りに本家への盆礼のご挨拶。
これが、本家の仏壇です。
富山って所は、家も立派ですが、仏壇も半端なく立派です。
先祖代々の霊位が受け継がれております。
普段の生活は、家で取れた農作物で質素に暮らし・・・
冠婚葬祭には、命一杯見栄を張るのが県人性。
本家に嫁いだ嫁は、まずは白無垢姿で、実家の仏壇にお参りをしてから結婚式場へ向かうのが仕来たりです。
結婚の儀には・・・白無垢 色打ち掛け 本振袖(今はカラードレスかな?)・・・そして、純白のウエディングドレス。
4回のお色直しが通常コースです。
そして・・・私の生まれ育った所は、読売ジャイアンツのオーナー。
正力オーナーの生まれ故郷でもあります。
子供の頃から、何気なくみていた銅像・・・
今は、正力松太郎記念館の前に立っている銅像です。
この記念館は、大門総合会館の一角に隣接されています。
毎年、ジャイアンツの選手達は、この地に訪れていたそう・・・
記念館に展示されていた、数々の品の一部です。
正力松太郎像の前で記念撮影していた写真もありましたが・・・
このスリーショットは、非常にインパクトありますよね。
ということで・・・
本当に休む暇なく充実した時間を富山で過ごし、帰京したのでありました。
追記;
兄貴は相変わらず、休みの日は野球に携わる日々・・・
私の同級生がやっている飲食店に顔を出すも、その彼の息子が中学生で野球をやっているらしく、兄貴とはシニアリトルリーグの話題で大盛り上がり。
兄貴がコーチしている高岡シニアリトルリーグ・・今年の全国大会(九州会場)では、3位(銅賞)獲得。
過去に全国大会1位(金賞)を勝ち取っている実力のあるチームなんです。
私が提案した、何気ない行動の中にも意味があり・・・
自分の居場所を見付けた快感を味わうこともできました。