京都旅 ②紫式部は地獄から救われた? | 横浜の香り教室 平安の香りと親しむ平安朝香道

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東急電鉄日吉駅3分にある平安の香りを創り楽しむ教室です。平安時代、貴族や「源氏物語」の主人公光源氏がたしなんだ香り創りや楽しみ方をご紹介。(by平安朝香道 朝倉涼香)

ピンクハート京都旅 

  ②紫式部は地獄から救われた?

 

 

 

ご訪問ありがとうございます

平安朝香道の朝倉涼香です

 

 

 

あの涼しさはどこへやら

蒸し暑くなりました。

 

 

紫式部を探す京都旅

の続きです。

 

 

紫式部と小野篁の墓所のある

紫野はかつては広大な原野で

狩猟が行なわれ

紅葉や桜の名所でした。

 

 

 

現在は大徳寺となっておりますが

かつては広大な雲林院の中に

大徳寺がありました。

雲林院は、淳和天皇の離宮でした。

 

 

大徳寺

 

 

 

また鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)

そして蓮台野(紫野)は

葬送の地としても知られています。

 

 

紫式部はこの紫野で生まれ、育ち

(現在の大徳寺真珠庵に産湯の井戸があるそうです)

最後はこの紫野の地に葬られたのでした。

 

 

平安時代、仏教的な観点からすれば

「源氏物語」は嘘の作り話しとなり

とんでもない物語

「嘘をつくと地獄に堕ちる」

そのような見方もあったのでしょう。

 

当時はやはり男社会

漢詩文ではなく

宮中の一部で回し読みされていた

ひらがなの読み物。

 

高評価の裏には批判的な意見も

あったのではないでしょうか。

 

平安時代末期の

仏教説話集「宝物集」には

「紫式部は嘘を広め

多くの人の心を惑わしたため

地獄に落ちた」

と書かれているそうです。

 

 

地獄へ落ちたけれど

紫式部を何とか救い出したい

 

その思いが文人として過去に活躍した

小野篁(おののたかむら・802年~852年)に

救出を求めたとみられています。

 

小野篁は

遣隋使を勤めた小野妹子の子孫です。

遣唐副詞に任命されたのですが

従わず隠岐に流されました。

後に召還され重職に就きました。

 

「今昔物語」には

小野篁は冥府とこの世を

行き来し閻魔大王の次官として

裁判を補佐していたそうです。

 

 

そのため閻魔大王に取りなし

紫式部を地獄から救い出したのだとか。

そのように伝えられているのです。

 

 

 

 

 

 

ですから紫式部の後ろから

お墓を護るようにしているのですね。

 

納得ニコニコ

 

 

墓所には

ザクロの実が色づいて

 

 

 

 

紫式部についての

数多くの著書のある文学博士の角田文衛氏の

「紫式部顕彰碑」が建っていました。

 

そこには紫式部の略歴

名前の謂われ

この場所が墓所と思われる根拠などが

刻印されていました。

 

 

 

 

 

 

うっかりすると

気付かずに通りすぎてしまう

小さな墓所

 

 

 

 

墓所を出ると

盛りを過ぎたのではなく

これから鮮やかな紫に染まる

ムラサキシキブが見送って・・・