
今回は自分を磨き人材を育てるにはどのようなことに気をつけたらよいのかを考えてみましょう。それには、まず人間の本質には二つの要素、すなわち本質的なものと属性的なものがあることを理解する必要があります。ふつうその人が持っている知識や技術はすぐに間に合い、また目につきやすいため、すぐれた知識・技術の所有者は往々にして、あの人はすごい人物であると見られがちです。
しかしこれは人物学的にいって、どんなに大事で必要であっても、人間として根本的要素ではなく、属性的なものですから、なくても人間としては格別差しつかえるわけではありません。
ところが人間には、これをなくしたら人間ではなくなるという「徳性」というものがあります。具体的には、人を愛する、人に報いる、人に尽くす、誠実である、忍耐力に富んでいる、努力する、清く、明るい……。こういう性質を徳性といいます。
徳とは元来、天地自然から得たもの、先祖から与えられたものなのです。もし人を愛することが出来なかったり、努力や忍耐に欠けたり、不誠実であったりしたら、それは人間ではありません。どんなに知識や技術が優れていても、人を平気で裏切るようなら、人間としては失格です。
つまり知識や技術は、人が人として生きていくために、どうしてもなければならない本質的要素、徳性があって初めて役に立つのです。ですから知識や技術は大事ではあるけれども、徳性に対しては属性的要素になります。
この二つに対して、もう一つ、習慣というものがあります。習慣というものは「しつけ」です。これは第二の天性というくらい大事なもので、習慣づけることを上手に利用すれば立派な徳性となるのです。
しつけというと、親が子供に口うるさく指導することを思い浮かべるかもしれませんが、それだけではありません。自分自身を習慣づけることも、自分に対するしつけなのです。
たとえば毎日、家庭でテレビを見てゴロゴロしているような人でも、一日十ページでも本を読むように自分自身を訓練づけてみましょう。漫然とテレビを見るのと違い、本を読むには「読もう」という本人の前向きな姿勢と根気、つまり努力を要しますから、これを続けると「気力」がついてきます。
気力は、言い換えると「創造力」です。ですから私たちはこの気力、すなわち創造力というものの可能性、含畜性を高めなければなりません。そこから人生を切り開く力が生まれます。そして、この本質によって人間に理想が生じるのですから、私たちはつねに志をたてて理想を持つことが大切です。それをどんどん高めていけば、やがて自分で自分の運命を変える力となる。すなわちあなたの可能性が広がっていくのです。
最近の若者は、書物を読破する気力を持たなくなり、ダイジェストのようなものばかり読みたがります。
しかし、断片的な知識では本当の人間の頭はできません。書物を通じて著者の精神、魂、学問、学説、そうして真生命というものを把握しようと思えば、大部の書物を読破しなければいけません。そういう読書、学問をしなくなったために、気力、心力、神力といったものが弱くなってきています。これは人物養成の第一失敗です。
本を読むにも読み方がある。その正しい読み方をしっかり自分に習慣づけ、活字の行間から著者の真意を汲み取るよう努力し続けることが重要なのです。