人間にとって「過改」とはどういうことか | 一灯照隅万灯照隅

一灯照隅万灯照隅

よろしくお願いしますm(__)m


今回は「過改」が人間にとってどれほど大切かを説いていきたいと思います。

過ちを改めるということは人間として、もっとも大事なことの一つです。遠い昔、ソ連をはじめとする東欧諸国が「共産主義」を捨て、一挙に自由化の方向に動き出すと、その後東西両ドイツが統一されるという画期的な出来事が起こりました。つまり、共産主義が人間の生活にとって過ちであることがわかり、それを改めたのが、東欧諸国の自由化への動きだったといっていいでしょう。

しかし、自由主義社会がすべていいわけではありません。欲望のおもむくままに物質文明を追求してきた結果、人間は、そして地球はどうなったでしょうか。まず、お金万能、モノ重視の世の中になって、人間の精神は大いに堕落、退廃してしまいました。お金さえあれば何でもできると思い上がった日本人は、世界中の人からひんしゅくをかっています。

また、自分をこの世に産んでくれた両親や先祖にたいする感謝の心のない人が多くなっていますが、そうした人たちがどうなるかは、いまさら説明するまでもないでしょう。そして、もう一つの大きな問題として自然破壊、環境破壊があります。便利さ、快適さを追求するあまり、森林を破壊したり、海や大気を汚染したり、文明の名のもとに今日まで犯してきた過ちは目にあまるものがあります。そろそろ心を入れ換えて謙虚に反省しなければ、地球は生物の住める星ではなくなってしまいます。

しかし、そうした過ちには、かならず兆し、つまり原因といったものがあるのです。「いい」「悪い」というのは結果ですから、原因があるのは当然のことです。そうした兆しを昔の人はよく知ることができたといいます。

吉凶の兆しというものは、まず心のなかに起こり、それからだんだん体や行動、言葉などに現れてくるといいます。したがって、真実の心が厚い人、すなわち誠実で、何事にたいしても感謝の気持ちを忘れない人はつねに幸福を得ることができ、真実の心の薄い人はつねに悪いほうへ悪いほうへ行くというのです。

道理をわきまえた聖人や賢人から見れば、それはよくわかるのですが、目先のことや欲望にばかりに執着している俗人の眼はくもってしまっているので、わからないのです。そのため、吉凶禍福は予測できないものだと決めつけてしまうのです。

とにかく、大事なのは至誠、つまり誠の心なのです。文明がすすむにつれて、それまでなかったような複雑な病気がたくさん出てきました。その病気も調べていくと、精神の影響によって起こることがわかってきました。ストレスが、いろいろな病気をもたらすことはよく知られているように、人間の心のあり方というものは、非常に大事なのです。

それでは具体的に過ちを改めるにはどうすればいいのでしょうか。それについては次回お話することにいたしましょう。