「食」は、人間が生きていくうえでとても重要なことです。生きることは食べること、食べることは生きること、食べなければ生命力を失ってしまいます。生命力がなければ、どんな行為もおこなわれません。逆に、この食べることの大切さを知った人は、喜びあふれる人生を得られるのです。
食べることが生命力を養うこととイコールとなれば、栄養のバランスが大事になってきます。バランスが悪いと生命力が養われませんから、大変なことが起きます。
まず、働くことに対する意欲がなくなります。学問をする気も失せてしまいます。考える力も薄れていきます。身体がけだるく、生きていても無意味だなどという考えが生じてくるので、死を選ぶようになります。このように、「食」はすべての面において大切なことなのです。
そこで、私はこう思うのです。どうせ食べるのなら、身体によく、味付けのよいものを食べたいと。でも、近ごろの人は台所に立つことを嫌い、できあいの料理、つまりスーパーなどで売っている料理に頼りがちです。しかし、そうしたものを食べつづけるのは、命を粗末にするのと同じですから、もう一度よく考えて、料理をつくる楽しみを知ってほしいと思います。
料理を上手に作ることができる人は、自分のためになると同時に、家族や一緒に住む人を喜ばせ、命を保ち、それにより人間として位の高い生活を維持することができます。料理はバランスよく、栄養の行き届いたものをつくるように心がけてください。
『健全な肉体に健全な精神が宿る』といわれますが、人間の『健康』は、食べ物によって培われます。
人間が生きていく上で必要な、『食べ物』は口から入り、口から入ったものはすべて血となり肉となり、骨となります。「正食餌」とは、人の璞(たましい)の浄化を施す最良の食餌を指します。それゆえに、正食をいかにバランスよく食べるかということが大切になってきます。食べ物によって璞が浄化され、健全な肉体の保持に繋がります。
私は、ネギやゴボウなどの野菜に土の匂いのするような商品の並べ方をしている八百屋さんに入ります。都内のスーパーに並んでいるキュウリやナスなどを見ますと、どれもが画一的な大きさで、傷が付いたり曲がったりしたものは売っていません。
しかしナスやトマトを一度でも自分の手で育てた経験のある方は、決してこういった愚かな野菜は買いません。野菜の表面に傷や虫が付いているのはあたりまえのことです。虫も食べないような野菜を人間が食べる。野菜から体内に入った農薬がどんな作用をするか。これは現代医学でも公になっていることです。
人間が口から食べる食べ物は、すべてが血となり肉となり骨となるわけです。農薬に侵された食物を口にすることが、自分の血液や肉体にどんな作用を及ぼすか…。表面の綺麗さや姿形に騙されてはいけません。必要以上の農薬に侵されていない材料を選ぶこと。味付けにしても、化学調味料を流用した調理などしますと、化学薬品がそのまま体に浸食していきます。
私はこの何年間、医者や薬に頼ったことがありません。「病気はほうじ茶で治る」これが私の持論です。うがいはほうじ茶で消毒すれば充分です。下痢などはほうじ茶と梅干し。熱などが出た場合、私はすぐ熱い煮込みうどんを食べ、ほうじ茶を多めに飲む。食というのは病を倒す。昔から、「うどん屋の風邪薬」といわれたものです。
大切なことは、食べ物そのものの材料、味付け。肉体と精神にとって、何が大切な食べ物であるかといったバランスを考えることが正しい食生活の基本といえるはずです。