価値がある善事とは?「貧者の一灯」 | 一灯照隅万灯照隅

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善事というのは「私はいいことをやっていますよ」というふうに、これ見よがしにしては本当の善行にならない。人知れずおこなって、はじめて陰徳となるといいます。さらに、毎日のように善をおこなって、それでもまだまだ足りないと感じるくらいで、初めて徳をつむことができるのです。

そこで大事なことは、真実の心から善いことをしているか、偽善的な心からしていないか、と自分の心をいつも点検しておくことです。このことを、よくわきまえて善事をおこなえば、もろもろの罪障を滅して、福を招くことができるのです。

そういうことを考えると、お金があったり、社会的な立場についている人のほうが、善事をおこなって徳を積みやすいともいえます。ところが、いまの日本を見ると、善を積みやすい立場にいながら、それをしない人が、いかに多いことでしょうか。本当になげかわしいかぎりです。

これに対して、貧しい人は何かにつけて善事をおこなうのはむずかしいといっていいでしょう。自分が食べていくことに精一杯では、善事をしようという余裕が、精神的にも物理的にもありません。

しかし、むずかしいからといって何もしないのでは、いつまでたっても、そうした貧しい境涯から抜けだすことはできません。むずかしくても、敢えて困難に立ち向かって善事をおこなうことが何にもましてすばらしいことなのです。

このことを「貧者の一灯」ともいい、その一善は百善にも当たるということを、しっかりと心のなかに刻みつけておいてほしいと思います。