久しぶりのブログ更新になります。
前回の記事のコメント返信も出来ておらずごめんなさい。
今日の記事は重たい内容かもしれません。
事前にお断りしておきますね。
ここ10日ほど、私の精神状態は最悪でした。
この先の人生に絶望し、泣くだけ泣いて、食事も摂れず、、、10日で2.5kgも体重が減ってしまいました。
紹介状を持って受診した眼科で恐れていた病の宣告を受けました。
ブログに綴ろうか迷いましたが、主人も私も敢えて隠すことではない、と意見が一致し、綴ることにしました。
正式病名は「原発開放隅角緑内障」。
しかも、私の状態は決して良くはなく、中後期に入っていました。
仕事を辞める年の初め頃から、何か見えづらいな、、、と思っていました。
でも、コンタクトを替えれば解決するかな?老眼のせいかな?と「本当の眼科」を受診することはせず。
小学校2年生から近視だったこと、車の運転をしないこともあり、見えないことへの危機感もさほどありませんでした。
自覚症状があってから1年間放置していたことへの後悔も大きく、本当に苦しい10日間でした。
この10日間、焦りに焦ってジタバタして。
何で私が?!母も難病なのに私も不治の病だなんて!と、この先のことを考えては吐きそうになっていた私。
今も不安はもちろんあります。
私の年齢と今残っている視神経たちの状態から考えると、何歳まで自分の目で光や色を感じられるのかな、とも思います。
でも、この10日間、もがきにもがいて苦しんで私が出した答え。
「失った視野や視神経は戻らないけれど、自分の目や身体を労って生きていこう」
「今、この瞬間に、動きたいけれど様々な理由で動けない人や生きたいけれど生きられない人たちがいるのだから、まだ見えていて自由に動ける私が、どうなるか誰にも分からない未来を悲観して自分の行動に制限をかけてはいけない」
と思えるようになりました。
とは言え、この先も落ち込んだり不安になることはあると思います。
でも、くよくよしてご飯も食べられなかったら大切な目に栄養を送れないし、今まで好きな物を好きなだけ食べて運動もせず身体に大きな負担を掛けていたのは自分なんだから、何で私が!なんて自分勝手な発想はやめようと思っています。
お花を買って帰宅した玄関で強張った表情の私を何も言わず抱き締めてくれた旦那さん。
難病で私の元に駆けつけることが叶わない母に代わって、GWに北海道から会いに来てくれる義両親。
母と同じ病に冒され自身の身体の動きも制限されているのに「何か出来ることがあれば何でもするから」と言ってくれる伯父。
この10日間、私と一緒に電話口で泣いてくれた母、緑内障のことを必死で調べてくれた父。
自身も難病で苦しみ続けているのにひたすら私の話を聞いてくれる友人。
大丈夫、私は1人ではない。
だから、これまで通り、見えている今を楽しもう。
と言うことで、これからもマイペースにブログ更新をしていきたいと思います。
この内容だといいね!を押しづらいかもしれませんが、、、励ましのいいね!ということで、もしよろしければ押していただけると幸いです。
読んでくださってありがとうございました。
これからもよろしくお願いします^^
