ご無沙汰しております。ほのふるです。
最近はテスト勉強とレポート作成に追われています…。
さて、今回お笑いコンビ「キングコング」の西野さんが描かれたという絵本『えんとつ町のプペル』の感想をどうしても書きたくなり、久々に投稿することとしました。
本当に、この作品は読むべきだと思います。
-------------ネタバレ-----------------
ハロウィーンに起こる一つの奇跡。そう一言で呼ぶにはかなりもったいない気がします。
プペル…正式にはハロウィーン・プペルですが、ごみ人間と呼ばれています。体がごみでできているのです。ハロウィーンの仮想かと思えばそれは全く脱げない。本当のごみ人間だとみんなに避けられます。
物語の中盤で、唯一心優しく接してくれた少年(ルビッチ)も裏切ってしまいます。
ここまで見ると、人間は自分を守りたいものなのだ、そう信じてしまいます。実際私も自分がかわいいものなんだよなぁ…人間は。と考えていました。
ただ、ルビッチは違いました。
そのきっかけを作ったのは紛れもなくプペルでした。
そしてラストシーン。
プペルの正体にルビッチが気がつきます。プペルは…亡くなったルビッチのお父さんだったのです。
ハロウィーンによみがえる命。その事実をルビッチは忘れていました。しかし、最後には思い出し、父親だと口にしました。
消えることをなんとしても避けたいルビッチ。しかし、それを否定する父・プペル。子供と親の間には目に見えずとも必ず磁石のように引き合う糸があるのかもしれません。
そう思わせてくれたのが、偶然ではなく必然と呼ぶにふさわしいプペルとルビッチの出会いでした。
いつの時代も、家族は家族なのだと思わせてくれました。それがこの本を読んですぐに思った感想です。そのあとに、人間の中に潜む弱さへと視線を移しました。弱いものを、何も文句を言わないものを、苛め抜く。なんてひどい生き物だ…いえ、私たちです。
私たちに対して、私たちはなんてひどいんだ…そう実感し涙しているわけです。
一言言わせてください。もうたくさんつぶやいていますがこれだけ言わせてください。
このいじめる姿も助ける姿も裏切る姿もすべて私たちなのです。
どんな姿にも変貌できます。人間のみができることです。そんなことは百も承知ですか?それはきっと言葉だけでしょう。言葉はひどいですが、私がその一人でしたから。
弱いものいじめは消えることがありません。人に流されるという言葉も消えることがありません。無自覚の場合もあることでしょう。されたほうは覚えている、まさにその通りです。
私は、この物語でいうと、完全にごみ人間と呼ばれたプペルの立場です。
全て受ける側です。そして、たくさん受けてきました。どれだけひどいことをされても生きることだけを考えました。なんとかして見返したいと考えました。助けてくれた人を信じました。それがもしかしたら、信じるということを覚えた瞬間だったかもしれません。
たくさん裏切られました。たくさん傷つきました。よく耐えたと思います。
ただ、恩返しをまだできていないのです。プペルはルビッチに恩返しをしました。その姿に、私はまだできていないという罪悪感を感じたのです。
その瞬間こそ、この物語に感動とともに絶望を覚えた瞬間です。ただ、良い絶望なのです。
いじめられた経験というものが、人を助けたという経験が、良い人間を育てるのかもしれない、そう気づかせてくれたこの作品に、西野さんに、この作品に携わっていらっしゃるすべての方に、感謝します。
本当にありがとうございました。
人生観が変わる作品です。
長文失礼しました。