昨日、よいと噂を聞いていた洋画「きっと星のじゃない」を鑑賞しました。
---------------ここからネタバレを含みます---------------
のちの彼氏も彼女も病気を持っており、双方ともいずれ死ぬ運命。
彼女は末期がんです。
そんな二人が出会い、恋をして、共に好きな作家へ会いに行き、絶望を覚えながらも自分たちがやりたいことを一生懸命残された時間の中でこなしていく。
二人の友人は彼女に振られ、のちに目が見えなくなってしまう男の子。アイザックです。
「ガスのいない世界なんて、見る意味がない」彼はガスの葬式予行練習にてそう語りました。
彼女、ヘイゼルも同じ思いを抱えていました。
彼であるガスは最後に亡くなります。実は、ヘイゼルが劇中危険な状態に陥るのですが、その時にはもうガス自身も危険な状態でした。ただ、足が義足ということだけではありません。
彼女には決していうことはありませんでした。
明かしたのは、オランダへ行ったとき。そして帰国し、ガスは感染症にかかってしまいました。救急車だけは呼ぶな、そう言い張るガスに対し、ヘイゼルは否応なしに救急車を呼びます。
そこからガスの車いす生活が始まり、自分が死んだときの葬式の弔辞をアイザックとヘイゼルに頼み、予行練習をしてほしいと頼むのです。
ガスは生前、オランダで実際に会い、嫌いになってしまった作家に愛するヘイゼルへの手紙を添削してほしいとお願いし、その手紙を作家に託します。
ヘイゼルはその作家のことを嫌ってるため、最初はくしゃくしゃにまとめましたがアイザックからガスからだといわれ、もう一度読み返します。
その手紙は、ヘイゼルへの愛にあふれているとともに、ヘイゼル自身に勇気を与えるものになりました。
(ここから感想です)
運命は、残酷でした。
しかしながら、それを一番知っていたのは紛れもなくヘイゼルとガス自身です。
また、100万人に知ってもらうよりも、たった1人の人に愛される幸せを気づかせてくれる作品だったと思います。
友達が100人いるよりも、自分を大切に思ってくれる人が一人いることのほうが私にとっては幸せです。
ヘイゼルは自分が死ぬことをわかっています。その思いが時に家族の衝突を招きました。
ガスは、自分の死期をぎりぎりまで愛する人に隠していました。亡くなった時のヘイゼルの悲しみは何にも代えられないほど大きかったのです。
愛する人だから、逆に伝えることが難しかった自分の死期。
愛する人との生活の中だけでも、自分の運命を考えたくなかった。
ただ、幸せな時間を幸せな気持ちで終わらせたかった。
運命にあらがうことは難しいです。
そして、運命は残酷です。
その運命の中でどれだけやりたいことを精一杯やることができるか、そしてどれだけ愛する人に愛してると伝えることができるか、それが一番大切なことだと思います。
この作品は、それを気づかせてくれました。
物語の最後はヘイゼルが死ぬ、というものではありません。
まるで二人がオランダで実際に会うまで大好きだった作家の本の最後のようですよね(笑)。
こんなにも生きる時間と愛する人を大切にしようと思える作品に出会えたことは幸せでした。ありがとう。
では。
See you next time