創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ
蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。
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メイブとフィンレイが婚約してから五日後、メイブとミードはバイルン公国から一度離れ、フランの領地であるモーリーンへ移動することとなった。そこで数日ほど過ごし、フランが所有する商団を護衛につけた状態で「異国からの花嫁」として再びバイルン公国に戻ってくる。これにより、メイブの存在を公のものとすると同時に、フィンレイの妻は正式に決まっているのだということを世に知らしめるわけだ。
メイブは人生で初めてとなる旅を前に興奮を隠しきれない様子であった。一方、ミードは彼女が数日に及ぶ旅に耐えられるかが心配でたまらず、これまでに収集してきた数々の薬草を引っ張り出し、不足しているものがないかを逐一確認するなど落ち着かない様子であった。
「やはり、毒消しはもっと用意したほうが……止血用の薬草も……」
「これ全部あなたが集めたの?」
「ええ、私自身には必要ないものですが」
「必要ないのに集めたの? なぜ?」
「……物珍しいから集めただけですよ」
ミードはそういうとわずかに悲しげに微笑む。メイブは彼が嘘を言っていることに気づいたが、その理由をあえて問いただそうとはしなかった。
「ねぇ、ミードはいろんな場所を旅してきたんでしょう? モーリーンにも行った?」
「そうですね。行ったといえば行ったかもしれませんが、行ってないとも言えますね」
「どういうこと?」
「最後に西方を旅したのは四百年近く前ですから」
ミードが旅した西方地域は塩気をはらんだ風が吹く西方では農耕が難しいうえ悪い風が運ぶ風土病がはびこる不毛の地だった。人家はまばらで村と呼べるほどの規模でもなく、当然ながら名前すらない。一体どうやってあの場所を発展させたのだろうか。
「なるほど、その頃はまだ町がなかったのね」
「ええ」
「じゃあ、ミードも初めてなのね。私と一緒!」
メイブはそういうと嬉しそうに微笑む——ミードははっとして手を止め、手に持っていた薬草入りのびんを床に置いてメイブのほうに向きなおった。胸の奥から申し訳なさと、自分は何をしていたのだろうという後悔の念が沸き上がる。
「すみません」
「どうしたの?」
「いえ、こちらのことです。気にしないでください」
そういうとミードは薬草を手早く片付けてメイブの隣に座り、そっと彼女の手を取った。まだ少し幼さが残る小さな手から優しいぬくもりと熱い鼓動が伝わってくる。彼女にとってこの旅は特別なものだ。人生で初めての旅は過去との決別の旅であり、メイブとミードがこれまで通りの関係で過ごせる最後の期間となる。いや、もしかするとこれが最後になるかもしれない。おろそかにしてよい時間など一秒とてないのだ。
「旅に出るのは不安ですか?」
「ううん。ミードがいるもの。それに、そんなにたくさん薬草があれば怪我したってきっと大丈夫ね」
「そうですね、薬草は十分です」
ミードはそういうと静かに笑う——旅に不安を感じているのはミード自身だ。メイブはそれをわかっているのだろう。いつの間にか彼女は、ミードの心中を察していたわることができるまでに成長していたのだ。
「私はこれまで、さまざまな場所を旅して、美しい風景や優しい人々、ささやかな幸せをたくさん見てきました。けれど、この世界にあるのはそれだけじゃない。数えきれないほどの悲しみや争いがあふれているんです。私は何度も、死の淵に立つ人に出会い、そして、何もできずにただ見送ってきました」
死の病に侵された人々や血の海の中で苦しむ人々に対し、ミードができることといえば死の苦痛を取り去ることだけだった。彼に看取られた人々は穏やかに息を引き取っていったが、いかに穏やかな死を目にしたとしても、ミードの心に湧き上がるのは「なにもできなかった」という無力感だけだ。
「私は、本当は救いたかったんです。見送った人すべてを助けたかった。でも、私にはそれができなかった。だから、薬草を集め始めたんです」
ミードはそういうと小さく息をつく。彼が嘘をついたのは自分の弱さを見せることが恐ろしかったからなのだとメイブは理解し、同時に、彼がそれを見せてくれたことを喜ばしく感じた。
「集めた薬草の数は、私の後悔と無力な失望の数です。一つ集めると一つ許されたような気になる。誰かを治療できればもっと許されたような気になる。身勝手なものですね」
「……そんなのおかしいよ。あなたが私を救ったように、あなたが救われたっていいじゃない。あなたが人を許すように、あなたが許されたっていいじゃない。どうしてあなただけがそれを求めてはいけないの? あなたが身勝手だとしたら、私たちはみんな身勝手よ」
メイブはミードの目をじっと見つめながら静かに微笑む——ペリドットを思わせる緑の瞳には強い意志の光が灯り、今は亡きギネヴィの面影を思い起こさせる。
「あなたは私を救ってくれた。今もこれからも、あなたは私を守ってくれる。でも、私はもう子供じゃないの。だから、これからは私もあなたを助けるし、あなたを守る」
「メイブ……」
「私があなたを許すわ。私にそんな事をいう権利なんてないのはわかっているけど、それでも、あなたが許しを求めているなら私が許すと言う。だから、あなたもあなた自身を許してあげて」
ミードの目から涙がはらはらとこぼれ落ちた。メイブは困ったような表情で優しく微笑み、手を伸ばして指でそれをそっと拭う。
「ミードは泣き虫ね」
「そんな事ありません。ほんの十五年前までは泣いたことなどなかったのですから」
「じゃあきっと、今まで泣けなかった分の涙ね。もっと泣いていいのよ、私が拭いてあげる」
「いえ、もう……」
頬に当てられた手に自らの手を重ねた瞬間、胸の奥で何かが大きく蠢いたような気がした。体が熱くなり、胸が締め上げられたように苦しい。
「あっ……」
メイブは小さく声をあげ、わずかに唇を震わせながら頬を赤らめる。手のひらが汗でしっとりと濡れ、ミードの肌に吸い付いたように離れない。触れあった場所から甘く痺れるような快感が広がり、これまでに感じたことのない強い衝動が体中を駆け巡る。
その衝動と欲望を鎮めるため、ミードは固く目を閉じた。初めて体験する感覚ではあったが、それが一体何なのかは知っている。そして、その衝動と欲望のままにふるまえば、どうなってしまうかということも。
「……もう休んでください。明日は早いですから」
ミードはそう言うと、メイブの手を離してゆっくりと立ち上がる。
「そうね、明日は夜明け前に出発するのよね。早く寝なくちゃ」
「私はもう少し準備をしてきます。おやすみなさい」
ミードはメイブの返事も待たず部屋を後にした。衝動と欲望の嵐は落ち着きつつあるが、そばにいれば同じ感覚に再び襲われるかもしれない。彼は、それに何度も耐える自信がなかった。
想いを振り切るように足早に外に出ると、心を落ち着かせるために大きく息をつく。明日から始まる旅路は二人きりではない。見知らぬ誰かの存在をこれほどありがたく思ったのは初めてのことだった。
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