創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ
蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。
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バイルン公の執務室の前に立ったメブミードは、簡素でありながらも重厚感と威厳を備えた扉をゆっくりと二度ノックする。
「誰だ」
扉の向こうから微かな声が聞こえた。病のため弱々しくなってはいるが、間違いなくバイルン公の声だ。
「ベレヌス=メブミードです。長い旅より戻ってまいりました」
「メブミード殿だと? それは本当か?」
「ぜひともご自分の目で確認してください。扉を開けてもよいですか?」
「……わかった。ただし、奥まで進んではならぬ。中にはいったら扉はすぐに閉めよ」
「失礼いたします」
メブミードは扉を小さく開け、隙間に素早く身を滑り込ませるように入室すると、指示された通りすぐに扉を閉めた。薄暗い部屋の中は空気がよどみ、すえた腐敗臭がわずかに漂っている。痘瘡から滲み出た体液の臭いだ。
執務室の奥には簡素な寝台が作られ、薄い布で作った天蓋が何重にもかけられていた。人々は痘瘡が何によって引き起こされるかは知らなかったが、それが人から人にうつることは経験的に理解している。何重にもかけられた天蓋は空気を介して病が広がらないようにと考えられた措置なのだろう。
「扉を閉めました。今ここにいるのは私と陛下だけです。どうぞ、私の姿を確認してください」
ほんの少しの間沈黙が続く——やがて、無数の水疱で覆われた手が天蓋の隙間から静かに突き出し、天蓋がほんの少しだけ開かれた。最後に会ったときよりも歳を取り、病のせいか目が落ちくぼんだバイルン公の顔は、手と同様に無数の水疱に覆われている。
「確かに……確かにメブミード殿だ。だがどういうことだ? あれからずいぶん時が経ったというのに、そなたは何一つ変わっておらぬ。どういうことなのだ」
メブミードは自身についてどう話すべきか思案した。フラン伯が話していた極東の異民族であるとでも言おうか。いや、それがどのような場所かと問われて答えることができなければ余計な不安を与えてしまうだろう。偽りではなく、自分が人ならざる者であることを話すべきではないか。
「陛下、実は……」
「いや、言わなくてよい。余計なことを聞いてしまった。そなたが何者であるかはそれほど重要ではない。メブミード殿であることが重要なのだ。すまなかった」
メブミードはバイルン公の言葉に深い感謝の念を抱き、その場にひざまずいて静かに言った。
「陛下。もしお許しいただけるのであれば、お側にて話をさせていただけませんか?」
「いや、しかし……」
「ご安心ください。私に病魔の手は及びません」
「そうか。ならばこちらへ」
バイルン公はそう言って大きく息をつく。正直なところ、離れた場所にいる相手と話すことは彼にとって大きな負担だった。体中が熱く、疼くような痛みとめまいのような感覚が絶え間なく続き息をすることすら苦しい。
天蓋の向こうから微かな衣擦れの音が聞こえ、寝台のかたわらで止まった。バイルン公は、一度は閉じた天蓋を再度開け外の様子をうかがう——まぎれもない。そこにいるのは三十年前から何一つ変わっていないメブミードがいた。
「陛下、本日ここに参りましたのは、陛下にお願いしたいことがあるからです」
「今の私にできる事であればよいが……話してみよ」
「身勝手にも出て行った私がいまさら戻ってきてこのようなことをお願いするのは心苦しいのですが、どうか私を再び妃殿下のお側につかせてください」
「身勝手も何も、そなたは元々誰にも縛られぬ身であろう。気にすることはない。しかし、なぜこの地に戻り、留まろうと思ったのだ? 逃げ出したいというならわかるが」
バイルン公はそういうと力なく笑う——病を恐れ、持てるだけの財産をもって逃げ出す領民は数多く、城内に仕えていた者たちの多くも去って行った。そんな中で「この地に留まりたい」という者が現れるなど誰が思うだろうか。
「旅先でこの地を懐かしく思い、ただその一心で戻ってきました。本当は誰にも会わず立ち去ろうと思っていたのですが、異変を感じて城下を訪ねたところ陛下と妃殿下の窮状を耳にし、居ても立ってもおれず……」
「誰にも会わず去るつもりだったのはなぜだ?」
「それは、私のこの姿のためです。多くの人は、長い年月を経ても姿かたちの変わらぬ私を恐れるのです」
「なるほど、そなたが一所に留まらず、旅を続けているのもそのためか」
「はい」
「で、あるのに、我らの窮状を知って戻ってきた。あまつさえ、またこの地に留まりたいと?」
「我ながら矛盾していると思います」
「ああ。矛盾しすぎて、何か企てているのではないかと疑わしいほどに」
バイルン公の言うとおりだった。メブミードの行動は一貫性を欠いており、何らかの意図を隠すための作り話ではないかとすら思えるほど矛盾している。しかし、なぜこのような行動をとってしまったかをメブミード自身も説明できない。ただ、気が付くとそうしていたとしか言いようがないのだった。
「陛下、私は……」
「皆まで言わなくともよい。私は最初からそなたを疑ってはおらぬよ。ただ、以前から思っていたことを改めて認識しただけだ」
「と、いいますと?」
「それについてはまた機会があれば話すことにしよう。メブミード殿、先ほどの頼みについてだが」
バイルン公はそういうと激しく咳き込む——少々長く話しすぎてしまったらしい。これ以上長引かせるべきではないだろう。
「メブミード殿、どうか妻の側にいてやってくれ。私には何人もの臣下や従者がいるが、妻には私しかおらぬのだ。だというのに私が病に倒れ、会うこともできず、どんなに心細い思いをさせているか……。だから、私の方こそそなたに頼みたい。妻はそなたを心から信頼している。どうか、彼女の支えになってはくれまいか」
「ありがとうございます、陛下。ベレヌス=メブミード、心を尽くし、妃殿下にお仕えいたします」
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