創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(13) - 帰還3

 

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「あなたがいない間、いろいろあったの。平和で幸せだった時期もあったけど、病気や災害でたくさんの人が死んだし、悲しいこともたくさんあったわ」

 長椅子に半ば身を横たえながらギネヴィはそういうと表情を暗くした。彼女がいう“たくさんの人”の中には彼女の子供たちも含まれている。彼女はそれを口にせず、メブミードもまたそれを口にしなかったが、その悲しみは二人の心に暗い影を落とした。

「陛下のお加減は……?」

「わからない。今はかなり安定していると聞いたけれど、お腹の子に障りがあるといけないから会うことができないの。もしあの方の身に何かあったら、私……」

 ギネヴィは血色の悪い顔をさらに青ざめていうと、涙をこらえるように固く瞳を閉じ、眉根を寄せる。その表情は愛する存在を失う苦しみを知っている者特有の痛切な恐れに満ち、彼女が夫を深く愛しているということを何よりも雄弁に語っていた。

「お願いよ、メブミード。私の側にいて。どこにも行かないで、昔みたいに側にいて欲しいの。お願い」

 細い肩を震わせながら恐怖と不安におびえるギネヴィに歩み寄り、その手を優しくとってメブミードは静かに微笑む。何も言わなくてもいい、私はそのために来たのだからというように。

「ギネヴィ様、どうか安心して休んでください。私はもうどこにも行きません。あなたが何度眠っても何度目を覚ましてもずっと側にいます。心細い思いをさせてしまった私を、どうか許してください」

「よかった。ありがとう。あなたがいるだけで私は……」

 すべての言葉を言い終える前にギネヴィは気を失うかのように眠りに落ちる。極度の疲労と緊張からようやく解放されたのだろう。もしかすると、長い間まともな睡眠がとれてなかったのかもしれない。

「妃殿下の寝室はどちらですか?」

「あ、はい。こちらです。ですが……」

 メブミードに問われた侍女は慌てて答えてから困ったような表情を浮かべる。彼女にとってメブミードは、主と親しい関係のであること以外はわからない男であり、果たしてどのような意味で親しかったのかも、主の寝室にいれてもよい相手なのかどうかもわからないのだ。

「身重の妃殿下をこのままにはしておけません。寝台にお連れしたいので、どうかお手伝い願えますか?」

 長椅子は体を少し休めるには十分だが眠るにはやや不十分だ。特に、身重の体で転落でもしたら大ごとになる。きちんとベッドに寝かせたほうがよい。それに、なにか良からぬことを考えているのであれば“手伝ってほしい”などというはずもないだろう。彼女はそう判断し、小さくうなずく。

 メブミードはギネヴィの体をそっと抱え上げる——身重の成人女性だというのにずいぶん軽く、今にも折れてしまいそうなほどに細い。

彼は腕の中に“宝物”を抱え込んだ幼子のように細心の注意を払いながらゆっくりと歩き、繊細なガラス細工を愛おしむように寝台の上におろす。体が冷えぬよう上掛けをかけ、病児を労わる母のような手つきでその髪を撫でた。そのすべてを見届けた侍女は、自分がほんの少し前に抱いた不安は完全な杞憂だったことを知る。

「妃殿下は近頃、食事をとられていますか?」

「はい。ただ、あまりたくさんお召し上がりになりません」

「お体がだいぶ弱っています。目を覚ましたらこれを」

メブミードは外套の内側から小さな陶器の壺を取り出して侍女に手渡した。

「これは?」

「心配はありません。ただの蜜です。毒などではありませんよ」

 壺のふたを取って小指の先で少量すくい、そのまま口に運んでニッコリと微笑む彼を見て、壺を持った侍女も恐る恐るなめてみる——アーモンドのようなほのかな香りと甘みが口いっぱいに広がり思わず顔がほころんだ。

「よろしければ、あなたにも一つ差し上げますよ」

「本当ですか?」

 彼女はそういってから、思わず大きな声が出てしまったことに顔を赤らめる。そしてようやく、目の前で微笑んでいる長身の男がこれまでに見た誰よりも美しいことに気づき、そのことが彼女の羞恥心をさらにかきたてた。

「あなたのお名前は?」

「アルヴと申します」

「素敵な名前ですね。どうぞあなたの分です」

 メブミードは新しい壺をもう一つ取り出してアルヴに手渡す。赤みを帯びた器体に針のような道具で彫られたと思しき縞模様が施された美しい壺で、彼女がこれまでに見たことのない形をしていた。どこか遠い異国で作られたものだろうかと考えながら、彼女はそれをじっと見つめる。

「ではアルヴさん、私は陛下のご様子をうかがってきます。必ず戻ってきますので、もし妃殿下が目を覚まされたらそう伝えてください」

「お待ちください、陛下は痘瘡で臥せておられます。お会いになるのは……」

 メブミードの言葉にハッとしたアルヴは慌てて彼を引き留める。袖を引いて引き止めたいところだったが、彼女の両手は小さな二つの壺で塞がっていた。

「その、今は陛下の容態もあまりよくありませんし、あなたのお体にも障りがあるといけませんので」

「心配してくださるのですね、ありがとうございます」

そう言ってメブミードが一礼すると、アルヴは頬を赤らめて視線を下に落とす。

「陛下は寝室ではなく執務室にいらっしゃいます。病に倒れてからも民のためにと尽力されて……。おそらく、陛下のお側にはキーラン伯、フラン伯、ロイド伯がいらっしゃると思います。みなさまに信義に篤い方ですが……」

 アルヴは何か言いづらいことがあるような表情を浮かべて口ごもる——彼女が言おうとしていることはみなまで言わずとも理解できた。バイルン公とギネヴィの間の子はお腹の子を除いてすべて夭折している。つまり、この国には後継ぎがおらず、現在の君主もその命が危ぶまれる状態だ。そんな時に起こることといえば、臣下同士の権力争い以外にない。

「もしよろしければ、みなさまについて教えてくれますか? あなたが困らない程度に」

 困らない程度——それは身に危険が及ばない程度にという意味であり、何をどこまで話すかは全て任せるという意味であると理解したアルヴは、周囲に視線を巡らせて誰もいないことを確認すると、それでもなお警戒するように声を潜めて話し始めた。

「恰幅の良いキーラン伯は南方の領地を収めていらっしゃいます。南方は土地が豊かで気候が穏やかですので農業が盛んです。とても大らかな方で飢饉の折は食糧支援をしてくださいました。フラン伯は西方の領地を治めていらっしゃいます。西方は商業が盛んで、フラン伯ご自身も異国との交易に注力なさっています。最年長のロイド伯は陛下が最も信頼を寄せている方で、異民族の侵攻の脅威にさらされている東方を守護なさっています。とても忠義が篤く、それに反するようなことは決してなさいません」

「なるほど、よくわかりました。みなさまとても立派な方のようですね」

「はい。とても名誉を重んじる方々です」

 つまり、キーラン伯は先の食糧支援を口実に権利を主張しようとしており、フラン伯は異国交易の規模を拡大したいという思惑を持っている。ロイド伯は正当な後継者として支持される形で権力の座を握りたいと考えており、表立って他の臣下と争うことはないもののキーラン伯やフラン伯を牽制している。そして何より、三者とも体面を非常に気にするたちであるということがわかった。

「では行ってまいります。陛下に会えるかどうかはわかりませんが、どうあれ私がここに留まることをお許しいただく必要がありますから」

 メブミードはそう言って丁寧に一礼すると、白い法衣と長い髪を揺らしながら歩き去る。アルヴはその後ろ姿を見送りながら、彼ができるだけ早く無事に戻ることを祈った。

 

 

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