Monster Parent [改] -7ページ目

親の責任としての嫌われ者役

 子供の健全な成長のために親はあえて嫌われ者役を買ってでもストレスをかける存在である必要があるのだと思います。対立・反発を嫌がって物分りのいい仲良し親子の関係を以って育児をしてしまう親が多いことで、世の中に「本質的な社会性(無難に振舞っておいて裏で文句や悪口を言うような中途半端な協調性のことではありません)」や「忍耐力(自己主張をしないことで自分を守る臆病者のことでもありません)」のない社会人が蔓延しているのだろうと考えています。
 そしてこの嫌われ者役を普通のコーチやスクールに望むこともまた、無理な話なのだとも思います。

執着心のない子供

 こういう子たちは(少なくとも現段階においては)ストレスを与えられずに育った可能性が高いことでストレスに対する耐性が不足している可能性があるという見方もできます。
 つまり何が言いたいかといえば、ストレスをかけないことに重点を置きすぎると、サッカーどころかちょっとしたストレスにも耐えられず、言い訳やあきらめや逃げを繰り返す癖がつき、人としての人生そのものにおいて幸せとはいえない道を進む可能性が心配されるということです。

何かに秀でるということ

 まず、好きでもないのにその「好きでもないこと」に本当の意味で秀でるというのは相当難しいことだと思っています。そして好きである、つまり執着するということはどんなことなのか?についての考えを書こうと思います。
 これから書こうとしていることは次男坊以降の子は兄弟からの影響を大きく受ける可能性が高いので当てはまらないことが多いだろうなあと思いながら書いています。
 これは私の偏見的持論ですが親からの強要を受けたわけではないのに偏執的にサッカーが好きな子(実はサッカーに限らずですが)は幼少時において本人の感性として愛情不足を感じる等の何らかの心的ストレスを受けた、もしくは先天的に心的障害がある可能性があるのではないかと考えています。羨ましい部分もありますが、親が知らぬ間に心的ストレスが与えられている(た)としたらそれ自体はよいことだとは言えませんよね。逆に嫌いではないが何かを執着的に好きなわけではない子の多くは心的ストレスが少なく十分な愛情を注がれ育った場合が多いのだろうと考えています。(ウチの子はたぶん後者)
 ちなみにサッカー好きではない子は「じゃあ何なら好きなのか?」と聞いても多分、大抵の場合は答えがないと思います。