ぼくは小説が好きでよく読んでいます。
24歳ころ体を壊し自宅療養している時に”恩田陸さん”の『夜のピクニック』を読んだことをきっかけに、がっつりと小説にのめり込んでいきました。
病気自体は苦しくはあったものの、あの期間が無かったら本に出会えてなかったのだからまさに【怪我の功名】といったところです。
好きな作家さんはたくさんいます。
これから話をする”京極夏彦さん”の小説も大好きです。
とは言っても『百鬼夜行シリーズ』を読む程度の知識です。
しかし『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』と来て三作目の『狂骨の夢』でいつもつまずきその先が読めていません…(そのかわり姑獲鳥と魍魎はめちゃくちゃ読んでる ドヤッ)
なんでも形から入るのが好きなぼくなのでシリーズは全てブックオフ100円で揃えました。(なんの自慢にもなっていない テヘッ)
そんな京極夏彦さんですが、”水木しげるさん”と関わりがあったそうです。
妖怪イズムを継承されたのかな?なんて熱いことを妄想しています。
やはり水木しげるさんといえば『ゲゲゲの鬼太郎』です。
調べてみると鬼太郎は約10年周期でアニメ化されているそうです。
最新の物で第6シリーズだそうな。
すごい事です、今を生きるほぼ全世代がどれかしらの『アニメ ゲゲゲの鬼太郎』を観たことがある可能性が高いのです。
その中の第4シリーズに京極夏彦さんが【脚本・声優】を務めた話があるのです。
101話 『言霊使いの罠』
これがとっても面白い!!
一刻堂と名乗る陰陽師が、訳あって鬼太郎チームを祓うというお話です。
ただの対決ではなく
【妖怪の存在とはなんなのか】
というとてつもなく深い内容が最初から最後までぎっしり詰まっています。
ぼくの捉え方ではこの話は単に”妖怪の存在”に限ったことではないと思うのです。
「この世に居てはならぬもの、しかし居なければならぬものでもある」
「ないと思えばなにもない、あると思えば全てある」
子供より大人にこそ響くものがありそうです。ふふ
おしまい