海外で十分に忙しさを堪能した?と思うが、日本に帰国したとたん、目の回るほど忙しい毎日が当たり前となるが、誰もが指摘するすでにひとりでこなすキャパは超えていると、、、、、、、
任せるところは任せてとも言われるが、そうはいっても誰でもが出来るわけではなく、質を求めれば、自分がやるのがベストと言わざるを得ない。
海外との交渉はただ英語が堪能であればこなせるというわけではなく、一番のポイントは真心。
何とかしたくても世の中、何とかならないこともそれなりにある。
無知にお付き合いしているほど暇なわけはなく、せめて人間としての最低限は己で身につけろと言いたい。
少しは己の無知と無能さに気がつけばいいが、そういう輩はそれさえにも気づかぬ視野しか持ちあわせてなく、かみ合うことはない。
ようするに自分に都合がいい、間違った自己評価のみを抱きかかえ、我執にとらわれ、くだらない事にこだわること、すなわちひとりよがり。
ひとことでいうと、人間として、男として、社会人として、色んな面で能力不足に尽きる。
間違った優越欲求は、単なるマスターベーションで無意味な自己満足に固執してしまうため、他人からの評価は自己評価と比べて著しく劣っている。
つまり自己評価と他者評価にあまりに開きがあり、自分だけはいいつもりという結果を生まない最低の勘違いとなり、虚しさだけが残るはずで、哀しいくらいのナンセンス。
にも拘らず、それにししがみつくのは単に自分の能力不足を誤摩化しているだけである。
そして能力不足を指摘されて誤摩化しきれなくなると、認めたくはないが仕方なく安逸にすいませんを連発して、本来の反省して再発を防止するというよりは、むしろ適当に誤摩化して、自分の心の安定を求めるずるい甘い考えで極力負担がかからないように逃避することに力を注ぎ、最後はトボケることを繰り返す。
現実を無視して、自分の都合で屁理屈を並べても、実績が伴わなければ、どうしようもなし、残念ながら他人の評価が上がる事はあり得ない。
性分がツキや運にどれくらい影響するのか?
心構えで随分と違ってくるはずであるが、そのことに目を背けているか、気がついていないか、都合が悪いから気がついていないふりをしているか、いずれにしてもツキから見放されているのは、明らかに己の間違った思考が原因だと早く気がつくべきである。
己の現実を見れば、答えは一目瞭然で、まずはどう変わればツキを呼ぶ事が可能になるか。
思考、行動、性格、生まれつきの資質、長年の環境や生活習慣から多大な影響を受けて形成され、それが仕事のやり方に反映される。
各々が自分勝手に間違った自己評価に執着して、自分に都合がいいやり方を実行しても結果は出るはずもないし出ない。
つまり自分に不都合なやり方に変えれば、忙しい事を理由で言い訳しなくなるはずである。
忙しい事が理由で出来ないのではなく、もともと能力が不足しているから出来ないのである。
なぜならば、忙しい時はもちろん出来ないが、忙しくない時も同じく出来ないのである。
作業をすることだけを求められているのではなく、最小の費用、労力、時間で最大の結果を出す事を仕事では求められているのである。
自分に出来る事だけにしがみついても、求められていることに目を向けなければ、ナンセンスで空回り。
自分の立場と立ち位置さえも認識出来なければ、太陽が西から昇って来てしまう?
これは自己愛にしがみつく自己満足物語ではなく、れっきとした品格を求めるおとなの厳しい現実物語なのです。
困ったひとたちの精神分析という本が、再び活躍するほど困った問題である。
Serpent qui ne mue doit perir / 脱皮しない蛇は死ぬ。