■前回(離れゆく心)の復習
(あらすじと感想)
 天正六(1578)年秋、岸の嫁ぎ先の舅で摂津有岡城主・荒木村重(44)が謀叛を起こし、籠城した。光秀(51)と秀吉(42)が説得を試みるが、村重はこれを拒絶する。村重は、自分や将軍義昭(42)に対する、信長の仕打ちが許せないといった。

 光秀は有岡城を攻囲する織田方の陣に戻ると、義昭に面会してくる、と細川藤孝(45)に告げて、義昭のいる鞆に向かった。信長包囲網のキーパーソンは義昭だ、と光秀は睨んだのである。

 

 備後鞆の船上で釣り糸を垂れながら義昭に面会した光秀は、自分が信長に取りなすから帰京しないか、と義昭に提案する。しかし、義昭は、信長のいる京に帰るつもりはないが、光秀だけがいる京になら帰ってもいい、といった。

 京に戻った光秀は、再び村重の説得を試みたものの、村重はこれに応じず、荒木の嫁になっていた岸は、離縁され、光秀のもとに帰ってきた。

 同年末、信長は村重の摂津有岡城を力攻めにしたが、守りも堅く、籠城戦はその後一年にも及ぶ持久戦となった。

 ある夜、光秀の館に忽然と現れた菊丸は、徳川家康(37)が光秀に面会を求めていることを告げる。

 摂津の海上で光秀を迎えた家康は、甲斐の武田への内通を疑われた嫡男の信康(20)とその生母たる妻の築山殿(37)を殺せ、と信長から迫られている苦衷を光秀に打ち明けた。余りに理不尽な信長の申し様に家臣の中には信長暗殺を仄めかす者さえいるという。今の信長は自ら味方を遠ざけ、敵をつくっている、と家康はいう。松永然り、公方然り、荒木然りではないか、と。このままでは、天下統一どころではなく、場合によっては、じぶん(家康)も行く道を分かたざるをえなくなるかもしれない。家康はおのれの苦しみを吐き出すかのように、そういった。

 京・二条の館で光秀は信長に謁見していた。上機嫌な信長に光秀がその理由を尋ねると、本願寺に兵糧を補給していた毛利水軍を(信長方の)九鬼水軍が打ち破って、戦況が好転したためだ、と信長はいった。光秀は、家康の妻子に死を命じたことは事実かと信長に尋ねた。事実だ、と信長はいう。もし、そのために家康が敵にまわったらどうするつもりか、と光秀。家康は小心者だから、必ず言いなりになるし、よしんば裏切るつもりならば、それはそれで敵味方がはっきり分かって良い、と信長がいうと、それでは人はついては来ない、と光秀は悲痛な面持ちで訴えた。ついて来ない者は成敗するまでだ、と信長は声を荒げ、そう言い放つと、途端に悲しそうな表情になった。それよりも、もっと気になることがある。信長はそういうと、さいきん光秀は正親町天皇(62)に拝謁したそうだが、いったい何を話したのか、と尋ねた。帝との会話は決して口外することはできない、と光秀が拒むと、信長は激しく光秀を打擲し、じぶんに背を向けるつもりか、といった。信長は、光秀を打擲している扇子を急に床へ叩きつけると、なぜだ、なぜこうなるのだ、と自問する。そうだ、帝を変えよう。帝に譲位させよう。信長は一人合点した様子でそういうと、光秀には、直ちに丹波を攻略せよ、一年以内に攻略できない時には、じぶん(信長)にも考えがある、と信長は不敵に笑った。

 光秀が帰宅すると、庭に面した板縁で駒が薬を用意して控えていた。信長に打擲されて、額にできた傷に駒が気付く。今日は何かあったのか、と駒が尋ねる。何も(ない)、と光秀が答えると、義昭からの手紙が来ていた、と駒はいった。その手紙には、光秀と一緒に釣りができて、とても嬉しかったこと、そして、光秀と一緒ならば、麒麟を呼べそうな気がすることが書かれていた、と駒は告げた。

※()内の数字は、天正六(1578)年時の年齢

■予習:闇に光る樹
(背景と展望)

 平蜘蛛の茶釜と一緒に久秀の夢をも託され、帝からは信長を監視し、その暴走の抑止を期待され、娘・岸の舅・荒木村重は信長から離反し、家康からは信長の理不尽な仕打ちによる苦しい胸の内を打ち明けられ、将軍義昭からはともに麒麟を呼びたいといわれ、その思いを駒から告げられた光秀。次々と本能寺フラグが立っていく。

 そういえば、不在のあいだに、2023大河が公表されたらしい。主人公は今回、信長の理不尽に苦しんでいた家康だという。このタイミングも本能寺フラグの一つだろうか。次回は、どんなフラグが光秀を待ち受けているのだろうか。

 

 

■前回(松永久秀の平蜘蛛)の復習
(あらすじと感想)
 天正五(1577)年、本願寺(顕如)は毛利(輝元)や上杉(謙信)と連携して、信長包囲網を形成していた。織田信長(44)と本願寺との戦いは七年余りに及び、その最中に、織田方の天王寺砦から突如として松永久秀(68)が逃亡した。

 

 京では、光秀(50)が先に逝った煕子を憶っていた。別室では娘のたま(15)が駒から薬の調合法を学んでいた。そこへ光秀が現れると、駒は伊呂波太夫から預かったという書状を光秀に手渡した。

 書状を見た光秀が訪れた先には、三条西実澄(67)がおり、実澄は光秀に、正親町天皇(61)が話したがっている、と伝えた。実澄がその場を立ち去ると、光秀はある建物へ入っていった。その様子を光秀の後をつけてきた町人風の男が見ていた。建物の中には、太夫と久秀がいた。二月ほど前のことだ、と光秀が語り始める。謙信(48)の侵攻を防ぐため、柴田勝家(56)を総大将に羽柴秀吉(41)らが加賀に派遣された。ところが秀吉が勝家と喧嘩になり、勝手に戦線離脱してしまった。激怒した信長は、秀吉を死罪にしようとしたため、家臣一同は信長を宥めるために一騒動であった。そのことを久秀も知っているはずなのに、なぜ久秀は信長様、引いては自分らを敵にまわすような真似をしたのか、と光秀は久秀を問い質した。わしは秀吉に同情する、と久秀はいった。勝家が総大将に任じられたのは、織田家中で家筋がいいからにすぎない。あの謙信相手の戦の総大将に、無能な勝家を選んだのはもっぱら信長殿に非がある、と久秀は言い切った。信長殿は家柄に拘らない人材登用で評判だが、実際には違う、と久秀は続けた。戦死した原田直政の後任に、じぶんではなく、筒井順慶(29)を選んだのも同じ理由、すなわち大和における家柄がいいからだ、と久秀はいう。一方で、本願寺はじぶん(久秀)に大和の支配を任せてくれる。だから、織田方から寝返るのだ、と久秀は決然といった。そうなれば、じぶんたちは敵同士になる、と光秀がいう。だから、(光秀に)見せて置きたい物がある、と久秀はいって、木箱から一つの茶釜を取り出した。それは平蜘蛛という、茶器の収集で知られる信長が執心するほどの名物だという。

これを信長に渡すのは嫌だが、光秀になら渡してもいい、と久秀はいう。じぶんは光秀とは戦いたくない。そう久秀が涙ながらにいうと、じぶんも久秀とは戦いたくない、戦線離脱の件はじぶんが命に代えても取りなすから謀叛はやめてくれ、と光秀は泣きながら、久秀に哀願した。じぶんにも意地があるから、それは無理だ、と久秀はいう。これはじぶんだ、と久秀は平蜘蛛の茶釜を示していった。じぶんがもし殺されたとしても、平蜘蛛の茶釜は光秀の下で生き残る。そうなったら、それはそれでいい。そう思ったのだ、と久秀はいった。いったん、

この茶釜は太夫に預け置く。じぶんが負けたら、平蜘蛛は光秀の手に渡る。もし、じぶんが勝ったら、平蜘蛛はまたじぶんのところに戻ってくる。久秀はそういうと、光秀に酒杯を差し出し、「飲め」といった。

 その年の秋、久秀は信貴山城で挙兵した。

 信長は嫡子・信忠(20)を総大将とし、大和に攻め入らせた。信忠軍の本陣にいた光秀を佐久間信盛(51)が外に連れ出し、久秀を助命する場合の条件はすべての茶器、とりわけ平蜘蛛の茶釜を無傷で差し出すことだ、と伝えた。信盛が立ち去った後、細川藤孝(44)が現れ、息子の忠興(15)を光秀に紹介した。忠興は、信貴山城攻めにじぶんも加えて欲しいと光秀に申し出て、了承を得た。

 同年十月十日、信貴山城の久秀は茶器類に油をかけると、それらに火をつけ、炎の中で自害して果てた。

 

 築城中の安土城の蔵と思しき所に籠った信長が闇に向かって、泣き喚いていた。

 光秀は帰蝶(43)と面会していた。光秀が信長の所在を尋ねると。隣の部屋で何が悲しいのか泣いている、という。帰蝶は、信長が久秀の死を悼んでいるのか、信貴山城の焼け跡で見つかった茶器類がこうなっていたことを嘆いているのか、といって、あたりに並べられた焦げ付いた茶器類を指し示すと、最近は信長の考えていることが分からない、という。駿河にある富士山には神仏が宿っており、頂上に登った者には神仏の祟りがあるという。信長は、おのれが足利将軍にも並び立つような官位を得、権力の頂に上り詰めたことで、神仏の祟りを畏れているようにも見える、と帰蝶はいった。もし、そうなら、さんざん信長を煽ったじぶんも同罪だ、と帰蝶がいうと、煽ったのはじぶんも同じだ、と光秀が笑った。夫と距離を置くため、美濃鷺山に別居しようと思う、と帰蝶はいった。世の中が平和になったら、鷺山で茶でもしよまい、と帰蝶が誘う。そこへ信長がやってきて、光秀にはもう別居のことも話したのか、と問うと、帰蝶は静かに頷いた。

 帰蝶が部屋を出て行くと、光秀を呼んだのには二つ用件があるからだ、と信長はいった。信貴山城の焼け跡を信盛がくまなく捜索しても平蜘蛛の茶釜は見つからなかった。これは久秀が事前に誰かへ預けていたからに違いない、とじぶん(信長)は睨んでいるが、光秀は平蜘蛛の茶釜の行方を知らないか、と信長は尋ねた。知らない、と光秀が答えると、久秀が上杉(謙信)に内通しているとの情報があったため、密偵たちに久秀を監視させていた、と信長はいう。久秀は京にある伊呂波太夫の小屋で親しい者たちと密会しており、その中に光秀もいたと聞いているが、それは本当か、と信長はいった。久秀と会ったことは本当だ、と光秀はいい、久秀には謀叛をやめさせようとしただけだ、と答えた。じぶん(信長)は久秀を死なせたくはなかった、久秀には(大和の代わりに)畿内のどこか(の国)を与えるつもりだった、と信長はいった。久秀といい、帰蝶といい、なぜ皆はじぶんを見捨てるのか、喜ぶと思ったから蘭奢待をプレゼントした帝も同じだ、なぜ皆はじぶんに背を向けるのか、と信長は呻くように自問した。二つ目の用件はたまの婿の件だ、と信長はいった。藤孝の嫡男の忠興にたまを嫁がせよ、信長は光秀にそういった。

 光秀が退出すると、一人残った信長は、光秀が初めて自分に噓をついた、と押し殺した声で呟き、おのれが受けたショックを搔き消すように、秀吉はどこにいる、と怒鳴った。秀吉が顔を見せると、おまえ(秀吉)の調査報告に間違いはないか、と信長が念を押す。抜かりはない、と秀吉は自信たっぷりに答えた。

 坂本城で、光秀とたまが話していると、太夫が訪れ、平蜘蛛の茶釜を光秀に差し出した。光秀はそれを木箱から取り出して、感慨深げに見つめていたが、急に深刻そうな顔つきになった。一体どうしたのか、と太夫が問うと、これは久秀の罠だ、といって、光秀は呵々大笑する。これほどの、天下の名物を所有するからには、それなりの矜持と覚悟が必要になるが、じぶん(久秀)はそれを見失っていた。だから、それを所有するに足る志と覚悟をもった光秀に平蜘蛛の茶釜を託したい。それが久秀からの伝言だ、と太夫はいった。丹波で戦を終わらせたら、帝に会って、信長のことをどうしたいのかを聞いてみたい、と光秀は太夫にいった。

※()内の数字は、天正五(1577)年時の年齢


■予習:月にのぼる者
(背景と展望)

 月にのぼった信長を討つのは誰か。次回で、信長殺しの真犯人候補がノミネートされるというのだろうか。

 

 鞆で幕府再興を企んで、諸侯に御内書を送りつづける足利義昭。

 果てしなき野望の持ち主・羽柴秀吉。

 信長が駆け上がっていく様子に、平和の破壊者たる覇王の足音を聞いた正親町天皇。

 不遜な権力者に、簒奪者の未来を見た三条西実澄らの公家たち。

 第六天魔王・信長の所業に恐れ戦く本願寺の顕如ら。

 光秀におのれの夢を託した松永久秀。

 光秀に、麒麟を呼ぶ者であって欲しいと願う駒や、いまは亡き煕子。

 そして、おのれ自身の、肥大化しつづける野望に虞を抱く織田信長。

 

 光秀を本能寺へと駆り立てる者は一体誰なのだろうか。

 

■前回(本願寺を叩け)の復習
(あらすじと感想)

 天正三(1575)年、本願寺との戦いはすでに五年が経過し、六年目に入ろうとしていた。
 (同年十一月、)織田信長(43)は権大納言に任じられ、ついで右大将を兼ねしめられた。

 美濃岐阜城では、信長と三条西実澄(66)が面会していた。実澄は、もっと朝廷を重んじ、しきたりを守れ、と信長に苦言を呈する。信長は、家督を子の信忠(19)に譲り、京都のことはすべてを信忠に委ねるから、それでいいだろ?と実澄に応じた。実澄は、本願寺との戦がいつまでも終わらないことを正親町天皇(60)が心配しているというと、信長は帝に贈った蘭奢待をなぜ敵対する毛利輝元(24)にやったのかと実澄を詰問した。

 信長は安土に築城し、天下布武を掲げて、天下統一の最終仕上げに取り掛かろうとしていた。

 

 (同四年五月、)天王寺砦では、本願寺攻めの総大将・原田直政が戦死し、信長の援軍を待ちつつ、光秀(49)、佐久間信盛(50)、松永久秀(67)らが軍議をしていた。怪我を負い、具合の悪そうな光秀。そこへ信長が到着し、戦死した直政の家中には本願寺門徒がいて、手を抜いているから勝てないのだと叱責し、原田家中の者たちを足蹴にする。それを見て、眉を顰める諸将。信長は、優勢な本願寺勢に攻めかかれと叱咤するが、光秀が戦力的な不利を訴え、反対すると、自ら陣頭指揮を執ると言い出す。信長は鎧もつけず、周囲の制止も振り切って前線に出るが、本願寺方の鉄炮に当たって足を負傷する。光秀は信長を助け起こすと、藤田伝吾に信長をかつがせ、自陣まで引き返す。その様子を見ていた久秀が、最近の信長様には困ったものだ、と呆れたようにいうと、光秀は突然その場で昏倒した。

 光秀は、斎藤利三(43)らに護衛されて、京の自身の館に運び込まれた。

 夜間に戸板で運び込まれた光秀の姿に驚くたま(14)と煕子(42)。大坂の医者は仏罰だというばかりで…と伝吾がいうと、煕子は舘を飛び出して、望月東庵を迎えに行った。

 床に臥せたまま眠る光秀を囲む煕子と東庵、駒。医者として最善を尽くしはするが、あとは神仏の加護を祈るしかない、と心配そうにいう東庵。それを聞いて部屋を出ると、うずくまる煕子。そこへ荒木家に嫁いでいた岸が駆け付ける。光秀との出会いや様々な思い出を振り返りながら、雨の中を神に祈願する煕子。様子を見に来た駒が雨の中で苦しそうに倒れている煕子を見つける。駒に介抱された煕子は、光秀の容態を聞いて安堵する。光秀は妻子に囲まれて、目を覚ました。

 数日後、足を引きずった信長が秀吉(40)を伴って、光秀の館を訪れた。信長は、本願寺を倒す作戦計画案を光秀に打ち明ける。本願寺に兵糧や軍需物資を搬送している毛利の水軍を、九鬼水軍で叩き、海上封鎖するというのだ。勝算はある、という信長に光秀も同意する。ついで信長は、戦死した直政の後任として、筒井順慶(28)に大和の支配を任せようと思うがどうか、と光秀に相談する。久秀の心情を慮ると得策ではない、と光秀が反対すると、横から秀吉が口を挟んで、大和国に因縁の深い久秀や順慶ではなく、利害関係のない人物、例えば自分ではどうだろうか、と自らプッシュする。大和の国衆はプライドが高く、家柄を気にするから、秀吉では舐められて務まらない、と信長はこれを一蹴した。そこへたまが信長に茶を運んできた。信長は、じぶんがたまの婿を見つけてやるんだ、と上機嫌にいい、今度安土城を見せてやる、とたまに約束した。信長は、大和の件はやはり順慶に任せる、と言い残して光秀の館を後にした。信長が帰ると、本願寺は手強いとじぶん(秀吉)が忠告したにも関わらず、信長は調子に乗って耳を貸そうとはしなかった。天王寺砦の件で痛い目に遭い、これに懲りて、少しは薬になっただろうか、と秀吉は笑いながら舌を出して光秀にいった。

 

 三河岡崎城では、徳川家康(35)が武田信玄の子・勝頼(31)の動きに目を光らせていた。長篠の合戦以来、信長様は三河のことなど気にかけていないようだ、と家康の正室・築山殿(35)が不満を口にした。信長様は多忙なのだから、気にするな、と家康。叡山焼討ちや本願寺との戦いなど、神仏をも畏れない信長様には恐怖すら感じる、という築山殿。織田様の息女・徳姫(18)が息子・信康(18)の嫁になり、今日にも初孫が生まれようというときに、そんな話は聞きたくない、と家康がたしなめる。その徳姫に、跡取りの信康が足元を掬われないように用心した方がいい、と築山殿が敵意剝き出しにいうと、家康は不愉快そうに話を打ち切った。そこへ女中が二人の初孫誕生を告げに来る。女の子だという。それを聞いて、徳姫のからだを気づかう家康に向かい、使えない嫁だ、と舌打ちした築山殿は部屋を出て行った。家康は周囲を見まわし、庭に控える菊丸に、京の情勢を尋ねた。菊丸は、順慶が大和の支配を任されたことに不満を抱く久秀に不穏な動きがあること、信長は安土城のことで頭がいっぱいで、三河のことは頭にないことを報告し、いま信頼に足るのは光秀だけだといった。

 京では、光秀の病が癒えるのと入れ代わるようにして、妻の煕子が病床に臥せっていた。

 息子の十五郎(8)や娘たち、夫の光秀や家臣らに囲まれて、伊呂波太夫一座の歌や踊りを楽しんだ夜、煕子は光秀の胸の中で、あなたが麒麟を呼ぶ者であったなら、といって眠りにつく。同年秋、光秀の妻・煕子は静かに逝った。

※()内の数字は、天正四(1576)年時の年齢

■予習:松永久秀の平蜘蛛
(背景と展望)

 ドラマの序盤から、光秀に好意的で、心を通わせる同志として描かれてきた久秀が最期を迎えるようだ。しかし、実利を優先するリアリストをドラマの中で自認する久秀がどのような絆で光秀と繋がっていたのかはいま一つ分かりにくい。二人の共通点は、古い権威に安住し、私利を貪る人物を嫌っていることぐらいだろうか。煕子は、麒麟を呼ぶものを光秀に見ていたことを打ち明けて、旅立っていった。いまのところ、特に伏線は見られないが、岸の舅である荒木村重や、光秀を意識していることが強調された家康との関りも気になるところだ。いよいよクライマックスが迫っている。