ある意味、数は力 | cindyの乳がんのち日常の日記

cindyの乳がんのち日常の日記

2010年11月乳癌告知。 
術前抗がん剤→温存手術→放射線治療を終えてホルモン療法をしていました。

2021年7月、10年目の年次検査をクリアして半年ごとの検診のみになりました。

うちの妹は弱視で生まれて、

さらに転んで頭を強打したはずみで

眼球が偏って片目が斜視になった。


妹の弱視に気がついたのは母で、

いつも母にぺったりくっついて

離れないのは末っ子だからかしら?

と、思っていたら

テレビをすごく近くで見ているのに

気がついて、もしかしてこの子は

耳がよく聞こえないのでは?

と思ってすぐに耳鼻科に行ったの。


そしたら聴力に問題はなくて、

目が悪いのでは?という話になり、

眼科に連れて行ったら

生後3ヶ月くらいの赤ちゃんの

視力(0.05くらい)しか

見えていないことが判明して

小児眼科のある大きな病院に

通うことになった。


それが2歳くらいのことで、

そのあと転んで斜視になって 

そのためのリハビリもすることに

なったんだ。


2歳から眼鏡をかけて

片目にはアイパッチ。


夜寝る前には目薬をさすんだけど、

しみるのか単に怖いのか、

毎晩妹がギャン泣きしていた事を

思い出す。


家でのリハビリは

画用紙いっぱいに 

大きな魚の絵を買いて

「お魚さんはどっちを向いてる?」

って聞いて、方向を当ててもらってた。


たいてい、わかんなーいって

言ってたなぁ。


父方の叔母たちが辛辣な人で

うちの家系には目が悪い人は

いないから、あなたの家系の

遺伝なんじゃ無いの?

 

とか、家系の血が悪いとか

ひどいことを言われたそうだ。


ひでぇ。。。こえーよ。。。


母はなんとしても

妹の視力を上げて斜視も治そうと

とても必死だった。 


うちには妹の視力に合わせた

子供用の小さなかわいい眼鏡が

たくさん残っていた。


幸い斜視は治り、

視力はある程度までしか

上がらず眼鏡は手放せないだろうと

医師から言われていたのだけど、

高校生になる頃には奇跡的に

眼鏡をはずせるようになった。


社会人になってしばらくすると、

PC作業のせいで近視になってしまい、

妹が再度眼鏡をかけるようなると、

母はとてもがっかりしていた。


妹が小さい頃、

昭和の時代、

子供の矯正用の眼鏡は

全額自費負担で

特殊なものだだから

結構高かったそうだ。


いまは補助金があるらしい。


弱視の子供を持つ

お父さんお母さんが 

眼科医たちと共に署名を集めて

国に訴えた結果なんだって。


弾圧スリーブやバンテージの

補助金もそうだよね。  


患者たちと医師が立ち上がり

訴えを議員に届けて 

活動した結果、補助金が

下りるようになった。


声をあげて

仲間を集めて

動くこと。


そして大きな数は力になる。


自分のためだけじゃ無くても、

もし困っている人や

そんな状況下に置かれている人がいたら、

その人たちのために声を上げられる

そんな人でありたい。


だから、政治には関心があるし

しょっちゅうプンスカしてる笑


数は力の悪い方向に

いまの国政は進んでるしねぇ。