九州の道の駅を再び!長崎県北部③“生月大橋” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1209カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1197カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

長崎県北部の3カ所目は

道の駅生月大橋(いきつきおおはし) です。

 

 

 

“平戸市” というのは前回の記事にも書いたように、「平戸島」「生月島」「的山大島」「度島」の4つの島(更に小さい島を除く)と、九州本土の 「田平地区」 から成り立っています。

 

 

九州本土と平戸島を繋ぐのが、“平戸大橋” で、全長は880m、1977年(昭和52年)の開通時は有料でしたが、2010年4月から無料開放されました。

 

 

まずこの橋を渡って平戸島に入ります。

 

平戸は1550年にポルトガル船が来航して以来、南蛮貿易の拠点として繁栄してきました。

南蛮船で一緒にやってきたフランシスコ・ザビエルを始めとする宣教師によってキリスト教(カトリック)が伝わり、当時平戸を治めていた “松浦隆信” の庇護のもと、一気に信者が広がりました。

 

しかし1587年、豊臣秀吉によりキリスト教が禁止され、庇護者であった松浦隆信も死去したことから、平戸のキリシタンは約250年という長い弾圧の時代を迎えるのです。

 

 

2018年 “長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産” は世界文化遺産に登録されました。

 

「潜伏キリシタン」 「隠れキリシタン」 は意味が違います。

禁教時代に信仰を秘かに続けた人々を 「潜伏キリシタン」 といい、明治に入って禁教が解かれた後も、それまでの信仰の仕方を継続した人々を 「隠れキリシタン」 と呼びます。

 

ここ平戸、特に生月島には 「隠れキリシタン」 の伝統文化が受け継がれています。

 

平戸島の北部を東から西へ横断し、生月島へは、“生月大橋” を渡ります。

 

 

 

“生月大橋” は長さが960mですから、880mの平戸大橋より少し長いです。

 

平戸大橋が “赤” なのに対してこちらは対照的に “青” 、更に、前者が “吊り橋構造” なのに対して、こちらの生月大橋は、“トラス橋” です。

 

この生月大橋は1991年(平成3年)に開通し、平戸大橋と同じく2010年4月に無料開放されました。

道の駅はこの生月大橋を渡ってすぐの、橋のたもとにあります。

 

 

 

生月島では江戸時代、沿岸捕鯨が活発に行われ、松浦藩の財政を支えていました。

 

また16世紀末には当時の島民約2500人のほぼすべてがキリシタンだった時代もあり、島内には様々なキリスト教関連遺産が残されています。

 

従って生月島は “捕鯨と隠れキリシタンの島” と呼ばれています。

 

 

道の駅から見上げた生月大橋がこの写真で、ここは “生月大橋公園” です。

残念ながらお天気が良くないですが、とっても美しい姿をしています。

 

 

 

 

道路に水たまりができていますが、時折ばしゃ~ん!と波しぶきが打ち寄せてくるのです。

晴れていればもっと良い景色だろうと思います。

 

 

 

こちらが道の駅の建物ですが、ご覧の通りシンプルでこじんまりしています。

 

 

 

ここには “重点「道の駅」候補” の認定証がありました。

 

「世界遺産、風景街道・道守と連携し、自然景観を活かした交流拠点施設として整備する」 というのがその選定理由であり、やはり世界文化遺産に登録されたことが大きかったようです。

 

 

 

以前来た時と店内の配置が少し変わった気がします。

海に面した場所なのに、新鮮な魚介類は乏しいのがちょっと残念です。

でも加工品の土産をいくつか買いました。

 

 

ところで、この道の駅で見つけたパンフレットに、こんなものがありました。

 

 

全国の道の駅の内、172カ所に何らかの “博物館” があるというもので、これは道の駅に隣接したものも含みます。

例えば、ここ生月大橋も、歩いて行ける場所に 「平戸市生月町博物館・島の館」 というのがあり、捕鯨や隠れキリシタンに関連する資料が展示されているので、ここに掲載されています。

 

私が驚いたのは、このパンフレットの裏表紙の方です。

 

 

この3段目を拡大してみましょう。

 

 

なんと、私のオフィシャルホームページが紹介されていました。(;^ω^)

 

 

 

 

 

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