まだ次があるような気がしている 後編− 高橋優LIVE TOUR「STARTING OVER」 | live , lifework.

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音楽と言葉といきるひと。ライブの「きかくやさん」だったこともあったなあ。

はっじーめてーの!!!

前後編に分けました。


いやはや、長すぎちゃったもんで。


ほんとはひとつにしたかったけど、

短くするなんてもったいないのだ。

備忘録なのだから。


わすれて、しまう日がくるのだから。



***

さてさて「象」からのラストスパート。 

「高野豆腐〜どこか遠くへ〜」があまりにも豪華な映像だったもんで

「高橋、おかねかけたな…」という久しぶりに厭らしいきもちが顔を出しました。

褒めてます。

完全に【君○名は。】をパロったであろう【どこか遠くへ。】のテロップ、

きらいじゃないです。

漫画1ページずつ、

誰が描いたか答え合わせしたい。



「明日はきっといい日になる」は、

こっからだぞ、って言いながらイヤモニを外すきらっきらな顔がハイライト。

コールアンドレスポンスの半分が秋田弁なので

いっそうきらきらに見えますね…




どっしり本編にいるのが意外だった「こどものうた」。

ラスサビくらいで気付いた、

ああそっか、

平成が終わるんだな、

 "僕らの平成ロックンロール"が。



自分は何が大きく変わるわけじゃない、

でも何かと、不安になる春。


新しく思える時代を、

それらしく迎えるには

 "絶望の平成に"なんて

強がることしかできないのかなあ、

と、思うなど。





ここまできて。


本編ラストの曲候補がたくさんあった今回。

「虹」でもない。

「明日はきっといい日になる」でもない。

「プライド」もやった。

あらかた予想していた曲たちじゃないな、

最後の曲なんだろう、って、

曲が始まるまで思い浮かばなかった。

ちょっとだけ予想外の「ありがとう」。




そういえば。

「aquarium」は早めにやるんだなと思ったけど、

どうしても映像最後の、

掲げられたこぶしが忘れられなくて。


握りしめて、

少し緩めて、

また強く握りしめる。


それにやさしく寄り添う、

掌をひろげるようなラストだった。



 "性懲りも無く明日を信じて生きていく"を回収する、

"ありがとう生きていこう" 。




再出発するには誰かがいてほしいということ。





そうか、ここが今回の着地か。

 "自分"と"君"と、

混ざり合うことではなくて

横並びで歩くことを選んだわけだ。

連れて行く、んじゃない、

このアルバムを通して、

ツアーを通して

個々でいることを、

また肯定してくれた日々だったんだな。




アンコールは、

もう歩き出すわたしたちを後押しする音のオンパレードでした。

「ロードムービー」で照らされた無数の星と、

最後にひとつだけ見える流れ星。

お守りをもらった気分だ。

会場を一歩出たら、すぐ立ち向かえるように。

個々の、それぞれに。






名古屋、アリーナ編の最終日。

沖縄を残してはいたけれど、

なんとなく、ほんとになんとなく、

終着点が見たくてはじめにチケットをとっていた。




ダブルアンコールの「友へ」。

耳打ちしたときに爆笑してたあっつっつ(音響さん)を見て、あれですか、やる予定だった曲を勢いで変えちゃったかんじですかね、と泣きながらニヤニヤしてた。

カポをつけて、少しだけストロークした瞬間に、もうすでにわりとなみだポロポロだった。

もしかて…?の段階でも人は泣けるのですね。



「ファイナルだからさあ…」って言う前の顔、

はちゃめちゃにいいかおだったなあ。

これを贈ろうって、直感で決めたであろう表情。


それが「友へ」という

"独りぼっちの君と  独りぼっちの僕"という対峙であったこと、

たいそう久しぶりにライブでやる曲であったこと、

そして何より、わたしにとっても特別な曲であることで、

たった5分足らずの、

覚えていたい時間が増えました。





何年か前。



「友へ」の一節を贈ってもらったことがある。





いつまでも一緒にいられる気がしていた時。

ずっとこのままがいいな、って

素直に思っていた時代があった。




今は、

いやもう結構前から。

そうじゃないんだってなんとなく、

もう分かってる。


だからこそ思い返す、


会えなくなった人、

これから会えなくなる人、

近くにいる人、

遠くにいる人。

変わってしまうこと、

変わらないこと。

変わりたい自分と

変わりたくない自分。




こっそりと変わろうとしたけど

阻止されることが、あったんだ。

結構覚悟したんだけどな。

このままいける、って、思ったんだけどな。



自分で選ぶものは、たのしくてたのしくて

逆に、

選ばれない、ということに

敏感になってしまった。



選んで選んで選んで、決めて、

少し疲れてしまっていた。

走り続けるためにきもちを閉じ込めるのは

とてもつらかったので、

頼ることにした。

たいせつなひとたち。

それから、音楽に。





ひとりで行くつもりだった名古屋、

結果的に遠征になったたいせつな子と笑、

ライブ前後で分かち合えてほんとにほんとによかった。

終演後に会った瞬間わりとガチめに声を上げて泣きましたね。

そのうち笑い話にしますね。



帰りの新幹線も

いつも一緒に見ている3人でずっとずっと高橋の話をしながら帰った。LINEで。笑

ダブルアンコールのときはこの子たち、

ううん、一緒に見てきたみんなや、

日常でたいせつだと思っているひとたちの顔や言葉が浮かんでいた。





わたしの日常には、ひとと、音楽があります。


それがわかっていれば、

高橋が言う、"前へ"を

すんなりと受け入れられるのだと思います。





去年はっきりと感じた、

今の自分が今まででいちばんすきであること。

(満足はしていない)

この音たちと、

みなさんと、自分のおかげです。 

それは間違いないんだ。



それでも足りてない、

やっぱり、わたし

表現者がいい。

生み出すひとがいい。

つくるひとがいい。



表現者を支えるのもだいすきだし、

そっちのが向いてるんだけど。

つくって、いきたいよ。




何を、は

まだまだこれから。

遅い、は

自分では言わない。




たくさんある。

ことばをかくこと、

ラジオ、はなす、

場をつくる、

空気をつくる、も

いいよね。


言ってしまったらダメな気がしていたけど。

今はどちらかというと、高橋のちからを借りて

聞いてもらったり

読んでもらったら

まだやれる、気がするよ。





始めにも書いた、

これはレポでなく、

わたしの、こころの、備忘録。



だからこれを残して、 

またいつか読み返す時に

きっと自分が救われることがあると思うんだ。