まだ次があるような気がしている 前編− 高橋優LIVE TOUR「STARTING OVER」 | live , lifework.

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音楽と言葉といきるひと。ライブの「きかくやさん」だったこともあったなあ。

高橋のツアーがおわりました。

【STARTING OVER】というアルバムをひっさげてのツアー。


今回行ったのは、
大宮、金沢、横アリ2days、名古屋ファイナル。
5公演。
あれ、思ってたより多いな〜〜〜〜(遠い目)



結果的に、
ぜんぶ違う心持ちでいれてとてもうれしかった。

地元(埼玉出身なのです)に近い場所で見たかった、
遠くの場所にお邪魔して昔からの友達と見たかった、
いつもありがとうなたいせつな子たちといつも通り見たかった、
終着点を見たかった。






これはレポでなく、
わたしの、こころの、備忘録。




少しだけ、
【来し方行く末】の雰囲気に近いような、
歩みを進める映像からスタート。
ただ【来し方行く末】は、
どちらかというと人を愛することに近いような、
人に報いたいような、
そんな空気を持っているなあと、
今なんとなく思っていて。

【STARTING OVER】は、
自分、寄りの感情に近いと思う。
誰かに語りかけているようなことばでも、
自分に言っているような。
聞いているわたしたち、歌うたかはし、
なんなら聞き手も含めて「自分」と定義するような。
自分が救われたくてつくった音楽で、
誰かが救われることも、知っているような。
もはや覚悟に近い、全部ひっくるめて生きていく所存なんだな、と思う。
そういうところが、バカがつきそうなほど真面目で正直なところが、
すきなゆえんなんだなあと思う。
最近は特に、
真剣だ、自分でいることに。



…どうしようあやうくこれで文章が終わりそうだ笑。

長いぜここから。



登場の瞬間、
「きいろーーーーー!!!!!!٩( ᐛ )و」と叫びました。あ、胸の中で。
今回の衣装、いいよいいよ…


からの、全公演言ってるであろう『会いたかったよ』に、
「んまっ、こんなこと言えるようになって…!!!」って動揺する毎回も悪くなかったです。
躍らされるわよ。ふんだ。

(マジメに文章を書いていくのに疲れたらこういうのが入るタイプ)



はじめの曲たちは、
一見冷めた目をした、リアルタイムシンガーソングライターらしい雰囲気から。
「ストローマン」は初めて聴いたときから、
クーラー効き過ぎて寒いところから自分の居場所がなくなる飛躍っぷりが
ほんとうにこじらせていて彼らしいです。
身近なところから結局は全世界に広がる、
初めての「福笑い」でも感じた印象。



1公演目から、わたしの中での大優勝は「プライド」なんですけど、
ツアーが進むにつれてスルメ的にたまらなくなっていったのは、
「美しい鳥」から「羅針盤」の流れ。
クライマックス何回もあるよねこのツアー、と話していた。


"見つけたり 忘れたり 探してる"を繰り返しているうち、
"ここで生きていこうと決めた"り
"この人を信じると決めた"ことが
正解なのかわからなくなって
"ただ立ち尽くしている"暗闇。

暗闇から光を求める、
"まだ次があるような気がして"、
踏み出す、ところまでが描かれるゾーン。


"光の中へ駆け抜けて消えてった"の光は
"夜の首都高速テールライト"なんじゃないかと思うし、
地図と羅針盤の代わりになるのは
"もうダメかって時こそ鳴り響く"音楽、だし、
"もうダメかって時ほど浮かぶ"君、の顔なんだと思う。

歌詞を並べるだけでこんなにもドラマチック。



絶望と希望とが交互、
それ以上に絶妙なバランスでやってくる。
昔からそういう組み合わせでセトリを組んでいたのかもしれないけど、
前回よりもダークサイドが増えてるからかもしれないけど、
要所要所で後味としてより残るのは

救い、だ。




あとね、
「美しい鳥」でほんの少し英語出てくるじゃないですか。
あそこがね、じわじわと嬉しくてね。
2018年のわたしとかぶる。
高橋も英文科かなんかだったよな、
わたしがそうだったように、
過去の自分を否定しないことはこのタイミングでこそできたことなんじゃないか。

"本当に良かったと ここまで来れたんだと"、
"ここまで来れたと胸をはれるような"、の
ここ、は、
地名でもあり、今の立場でもあり、
時代でもあって。
それを歌うときの彼がとても朗らかな顔をしていたのを
とても覚えている。




究極の気が抜けるタイム、
「いいひと」はまあずっとニヤニヤしながら見るわけですけど、
"火あぶりの刑に処してる"ところがいちばんすきですね。



ニヤニヤさせてから
「シンプル」で始まる、
完全なる"君"ターンの5曲。


さっきも書いた、
「プライド」が大優勝な理由。
はじめの武道館のときの「素晴らしき日常」に近しい、
この過去のこれまでの道のりが後ろに流れるの、ズッルい。
あのときと確実に違うのは、
いや、色濃くなっているのは、
高橋にとっての"君"、
たぶん、わたしたち聞き手なんだと思う。
それと、
重ねてきた曲たちと、秋田っていう特別な場所と。
うぬぼれかなあ。


それに比例するように
あれ行ったなあ、これ行ったなあ、
あのときはこう、このときはああ、って
わたしの記憶も増えていく。


少しずつでも夢を叶える高橋と、
まだこれから叶えられる気がしているわたし。


すでに叶えたこともあるのに、
2018年はすごい年だったって言ったのに、
どうしてこうも欲深いんだろう。
そんなことを考えていたから、
5公演ぜんぶ泣きました、勝てませんでした。


名古屋なんかいちばんダメでした、
ことばの説得力がすごかった。
流れていかないの、
高橋が口から出すことばが、目の前で止まっているようで。
伝わる、なんてもんじゃない、
ダイレクトに刺さって、過ぎていかない。


"さあ始めよう"
アウトロのダンッダンッ、に合わせた
最後のバックタイトル。

"君"が
自分、とすっとリンクする音が聞こえた。



ちなみにライブで聴いてはやし人気が急上昇したのは「非凡の花束」。

"鈍臭い奴の手"=高橋の手を握るのはわたしたちなんじゃないか。
こんなに屈託なくあいされることがあるなんて
信じられないくらい。
モノクロだった世界が色づくシーンが印象的だった。

Cメロだいすきマン発動のわたしの横で、
一緒に見ていた子が
"許せなかった日"の部分がいちばんクるって言っていて
ああ彼女らしいなあと思った。

そういうやりとりも、
記憶として増えるのがとてもうれしい。
1人でもライブは行けるけど、
誰かと行くなら。
忘れない。


「非凡の花束」からの「プライド」は本当に、
ボロッボロすぎて他人に見せられる状態ではない。
勘弁してほしい。
あ、わたしの顔の話です。

「プライド」が引きずりすぎて、
そのあとの「象」でもずっとボロッボロだった日すらありました。
いや「象」もかなり、真面目に聞くとあかんやつじゃないですか。
"10年後またここで会おうよ"って聞くたび、
あーーーー10周年の高橋とか想像したらもう恐ろしく泣いちゃいますね、って
妄想で泣いてました。




残像で泣けるわたしなので、余裕でした。
余裕のボロボロ。




つづく!