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伊達と酔狂とRRJ!橋満克文(RRJグループ代表)

2004年に、株式会社アールアールジェイを起業して、サバイバルを続けてきました。
Still Run!まだ走る!まだ経営を続ける!
自分の経営者としての向き合い方について書かせていただいております。

https://www.rrj.jp/

人生には色々とある。

 

だから、あんまりやせ我慢は良くない。

状況を悪くするだけ、だから困ったら、困ったと言うべき。

 

だから、困りましたと、私はちゃんと言うようにしてる。

恥ずかしいけど、それも大事な事なのだと思います。

 

余裕ぶっていたい気持ちもあるし、そうじゃなきゃ保てないものもある。

 

けど、それって、その手順で手に入れた物事はそこから更にきつく厳しくなる。

 

いっかい、ちゃんと、無理というときは無理といって、ごめんなさいして、仕切り直しが大事だと思います。

 

なんでこんなことを書いているかというと、最近はちょっと色々なことから、「離れる」時期が来ていると実感しているからなのですが、それがなかなか言語化できない。

 

自分の存在がどうとか、相手にとって会社がとか、ふとそういう風に考えてしまうのが、とても傲慢なものに感じるようになっていて、これでは僕は良くないなーと思ってしまいます。

 

離れるというのは、一見、マイナスなワードのように思えるかもしれませんが、今年のテーマ―は「滅私想皆」なので、流れとしては間違えてないように思われます。

 

ただ、見守るというのとも違ってて、相手に対して、自分のできることはない、それはとてもめでたいことなのだと考えれるような境地に行かねば、自分の存在がまた、知らず知らずのうちに出てきて、また、自分が傲慢であると、自問自答が始まるので、それが本当に無限のループなので、自分の現状と、内面とで息を合わせて離れることが大事な事だと思います。

 

離れることで、一番わかることは、責任の範囲。

責任がある範囲とない範囲もそれぞれでふわふわしていた場所が、綺麗にではないかもしれませんが明確になってくると、それはそれで気楽だとうなぁと、思ったりもしてて。

 

最近は、そういう時期に来たかなと思ったりしていまっす。

 

見守るとも、任せるとも違う、離れる行為というのは、自分でも経験したことがないことで、それを言語化できるとも思えない。

 

悲しくもなく、辛くもなく、嬉しすぎることもなく、気楽すぎることもない、この感覚は、何なのだろうかと思えてくる。

 

松田優作が死の間際に「空」ということばをよく使ったとか、テレビで見たことがある。

 

自分は、そのテレビを見ながら、ただただ、「一定」でありたいと思っていたのを思い出した。たしか中学か高校の時だと思う。

 

そのころから、そもそもが、すぐに連絡が付くとか、繋がるとかそういうのは好きでもなく。

人に何かを決められるのも好きではなかった。

 

そして、その煩わしさから離れていく方向に、徐々に、大きな弧を描いて、進んでいたのだなとさかのぼって考えると思う。

 

会社は私が居なくとも回る。

発展もできる。と思っている。

 

あとは、何ができるかを思うと、残された選択肢は僅かだなと感じる。

 

今の僕の心境は、嵐の前の静けさではないというのだけはわかるので、一定であり空の境地で、そして、何を偉そうにと言われてもそれも空を切るように心に波風を絶たすこともなさそう。