岩上通蛸薬師上るにある中山神社です。

 

 

延暦13年(794年)、平安京遷都時、桓武天皇によって素盞鳴命と内裏の門を守護する櫛石窓神、豊石窓神を祀って創建されたと伝わります。岩上明神、もしくは岩神明神と呼ばれ、現在も鳥居に「岩上宮」の扁額が掲げられています。

嵯峨天皇が離宮の冷然院(冷泉院)を築くと、その鎮守社となりました。冷泉院が廃絶した後も旧地に祀られていましたが、徳川家康の二条城建造により現在地に移転。この地が内大臣中山忠親の邸跡に当たるため、中山神社と改称したということです。

 

 

拝殿。

 

 

祭神は素盞鳴命。

櫛石窓神、豊石窓神を合祀します。

 

 

中山内府威蹟地碑。

内大臣中山忠親の邸跡であったことを示す碑。

中山忠親(1131~1195)は平安時代末期の貴族。権中納言藤原忠宗(藤原北家花山院流)の三男。母は藤原家保女。長寛2年(1164年)、参議。仁安2年(1167年)、権中納言。平時忠の娘を妻にしていたため平氏政権に近く、治承2年(1178年)、中宮平徳子の中宮権大夫。治承3年、言仁親王の東宮大夫。治承4年、言仁親王が即位して安徳天皇となり東宮大夫停止。養和元年(1181年)、徳子が院号宣言を受けて建礼門院となると建礼門院別当となりました。寿永元年(1182年)、中納言。寿永2年、権大納言。同年、平家の都落ち。元暦2年(1185年)、平家滅亡。文治5年(1189年)、大納言。建久2年(1191年)、内大臣。建久5年、内大臣を辞し、出家。建久6年、死去。日記「山塊記」は当時の一次史料。

 

 

 

中山神社;京都市中京区岩上通蛸薬師上る岩上町748