富小路通夷川上るにある大炊御門万里小路殿碑です。

 

 

平安京左京二条四坊十一町にあった邸宅。

平安時代、但馬守源高房が所有。延久5年(1073年)、後三条天皇は方違えに来てここで崩。その後、源能俊が所有し、白河上皇の院御所となりました。

広大な平安宮大内裏は維持が困難となり、貴族の邸宅を皇居とする里内裏へ以降。平安時代末期から鎌倉時代中期にかけて約90年間里内裏であった閑院内裏は、正元元年(1259年)の焼失以降再建されず、後深草天皇は外祖父西園寺実氏の邸の一つ冷泉富小路殿に入って里内裏とします。院政を執る後嵯峨上皇は後深草天皇を17歳で退位させ、その同母弟亀山天皇が即位。冷泉富小路殿は後深草上皇の院御所となり、亀山天皇は後嵯峨上皇の院御所・五条殿で即位。亀山天皇は、今林准后・四条貞子(西園寺実氏室/亀山天皇の外祖母)が所有する五条高倉殿を里内裏として移ります。

実氏は亀山天皇のために大炊御門万里小路殿を入手して整備。亀山天皇とその子・後宇多天皇の里内裏となりました。退位後の後宇多上皇が院御所としますが、徳治2年(1307年)、寵后の遊義門院(姈子内親王/後深草天皇皇女)が崩じると出家して大覚寺に移ります。元応元年(1319年)、焼失。再建されませんでした。

 

 

 

大炊御門万里小路殿碑;京都市中京区富小路通夷川上る