寺町通広小路上るにある冷雲院他二十八墓です。

 

 

清浄華院の墓所。

皇室と縁の深かった清浄華院では、冷雲院他28基(冷雲院を含め全部で29基)の皇族墓が築かれました。明治時代以降、皇族墓は宮内庁管轄に移りましたが、清浄華院では現在も一部、皇族墓が墓地の中に点在しています。
その中からいくつかを取り上げます。
 

 

「後陽成院院皇子 冷雲院御墓」。  

冷雲院宮(1611~1611)は後陽成天皇の第九皇子。母は古市胤子(当初、足利義尋(室町幕府15代将軍・足利義昭の長男)の妻)。夭折しました。

 

 

 

左「後陽成院天皇皇女 空華院墓所」、右「後水尾院天皇皇女 月桂院墓所」。

空華院宮(1613~1613)は後陽成天皇の第十皇女。母は古市胤子。冷雲院宮の同母妹。慶長18年に生まれ、同年、夭折。

月桂院宮(1635~1637)は後水尾天皇の第十皇女。母は水無瀬氏子。新宮。3歳で夭折。

 

 

左から「後水尾院天皇皇女 春香院御墓」、「後水尾院天皇皇女 秋光院御墓」、「霊元院天皇皇女 紅玉院御墓」。

春香院宮(1641~1644)は後水尾天皇の第十三皇女。母は園光子。桂宮。5歳で夭折。

秋光院宮(?~1636)は後水尾天皇の第九皇女。母は水無瀬氏子。夭折。

紅玉院宮(1675~1677)は霊元天皇の第四皇女。綱宮。母は愛宕福子。3歳で夭折。

     

「霊元院天皇皇女 勝子内親王御墓」。

勝子内親王(1686~1716)は霊元天皇の第八皇女。母は松木宗子(敬法門院)。定宮(はじめ養良宮)。宝永4年(1707年)、内親王宣下。31歳で没。

 

 

「霊元院天皇皇女 瑧岸院宮御墓」

瑧岸院宮(1711~1712)は霊元天皇の第十ニ皇女。母は入江伊津子。留宮。夭折。

   

 

「霊元院天皇皇子 顕明院御墓」

顕明院宮(1710~1713)は霊元天皇の第十五皇子。母は倉橋氏。峯宮。正徳2年(1712年)、実相院に入りますが、翌年、死去。

 

 

 

冷雲院他二十八墓;京都市中京区寺町通広小路上る