鎌倉にある九品寺です。

 

 

内裏山九品寺という浄土宗の寺。

元弘3年(1333年)5月7日、配流先の隠岐から脱出した後醍醐天皇追討のため西下した鎌倉幕府御家人・足利高氏(後に尊氏)は後醍醐天皇方に寝返り、後醍醐天皇側近・千種忠顕と合流して六波羅探題を攻め滅ぼします。同8日、鎌倉幕府御家人・新田義貞も後醍醐天皇方につき、領地のあった上野国新田荘で挙兵。同18日、新田軍が鎌倉到達。幕府軍は鎌倉に通じる七つの小道・鎌倉七口を北条一門に守らせ防衛。同21日、新田軍は強風で海水が引き潮になったのを好機として稲村ケ崎を突破、鎌倉入り。同22日、追い詰められた得宗北条高時は菩提寺の東勝寺に入り、一族郎党870人とともに自害。鎌倉幕府は滅亡しました。

この地は、鎌倉入りした新田義貞が本陣を置いたとされる場所。鎌倉幕府滅亡後に戦死者の菩提を弔い、義貞がこの寺を建立したと伝わります。

 

 

本堂。

本尊・阿弥陀如来像を安置します。

 

 

 

九品寺;神奈川県鎌倉市材木座5-13-14