鎌倉にある佛日庵です。

 

 

円覚寺の塔頭。

円覚寺の開基北条時宗が小庵を結んだ場所で、没後は墓が造られました。鎌倉幕府滅亡後は衰退していたのを、天文年間、鶴隠周音が隠居所の烟足軒をおいて中興し、円覚寺の塔頭としました。

 

 

開基廟。

北条時宗廟所。

北条時宗(1251~1284)は鎌倉幕府8代執権。得宗。鎌倉幕府5代執権・北条時頼の次男。母は葛西殿(北条重時女)。兄時輔は庶子であったため嫡男として育ちます。康元元年(1256年)、父時頼出家。母方の伯父北条長時が6代執権となります。康元2年、元服。弘長元年(1261年)、安達泰盛の妹堀内殿(覚山尼)と結婚。弘長3年、父時頼死去。文永元年(1264年)、長時出家。曾祖叔父北条政村が60歳で7代執権となり、時宗は14歳で連署就任。文永5年正月、元の皇帝フビライから服属を求める国書到達。同3月5日、18歳で8代執権就任。文永9年、謀反の疑いで異母兄北条時輔らを誅殺(二月騒動)。同年、後嵯峨天皇崩。兄後深草上皇と弟亀山天皇のどちらが治天の君となるか打診を受け、持明院統(後深草の皇統)と大覚寺統(亀山の皇統)が10年ごとに即位する両統迭立を指示。文永11年、元寇(文永の役)。「立正安国論」を上納して日蓮宗への改宗を求めた日蓮を佐渡配流。建治元年(1275年)、元の使者を鎌倉に連行し斬首。弘安2年(1279年)、再度送られた元の使者を博多で処刑。弘安4年、二度目の元寇(弘安の役)。弘安7年4月4日、出家。同日、34歳で死去。

 

 

 

佛日庵;神奈川県鎌倉市山ノ内434