丹波篠山にある篠山城です。
篠山藩主の居城。
慶長13年(1608年)、譜代大名の松平康重が八上(篠山)藩主となり、八上城に入ります。徳川家康は大坂城の豊臣秀頼監視のため、天下普請で篠山城の築城を命令。慶長14年、篠山城完成、康重は八上城から転居。以降幕末まで篠山藩主の居城となりました。篠山藩主は藤井松平家、形原松平家、青山家と変わり、明治維新を迎えました。
明治6年(1873年)、廃城令により取り壊し。大書院のみ残され篠山小学校、多紀郡公会堂に転用されます。昭和19年(1944年)、火災により大書院焼失。昭和31年、国の史跡。平成12年(2000年)、大書院復元。
日本100名城57番。
大書院。
二の丸にあった藩主の居館。
平成12年に復元されたもの。
内部はシアタールームの映像以外撮影可。
上段の間。
次の間。
孔雀の間。
復元されていない部分は地面に案内が出ています。
御上段。
小賄詰所。
奥御取締。
天守台。
天守が築かれることは一度もありませんでした。
天守台からの眺め。
篠山城;兵庫県丹波篠山市北新町