大阪にある太融寺です。
佳木山宝樹院太融寺という高野山真言宗の寺。
寺伝によれば、弘仁12年(821年)、空海が嵯峨天皇より本尊・千手観音像を賜って創建。嵯峨天皇の子、左大臣源融が七堂伽藍を整え、寺名は融の名からきているそうです。
大坂夏の陣で全焼、元禄年間に復興されますが、第二次世界大戦中の大阪大空襲で全焼、堂宇はそれ以降の再建。
神仏霊場巡礼の道51番札所。
本堂。
本尊・千手観音像を安置します。
宝塔。
鐘楼。
史跡淀殿之墓。
大坂夏の陣で淀殿が非業の死を遂げると、祟りを恐れる人々により、鴫野郷弁天島にあった鴫野神社に淀殿の霊が合祀されます。そこにやがて淀殿の墓とよばれる石塔(供養塔)が置かれるようになりました。明治10年、上東練兵場の建設により鴫野神社は生國魂神社境内に移転し、摂社となります。石塔は四天王寺に移す案もありましたが、徳川家康の本陣があった茶臼山に近いため、大坂城北のこの寺に運ばれたそうです。
太融寺;大阪市北区太融寺町3-7