花園にある長興院です。

 

 

妙心寺の塔頭。聖澤派。

天正9年(1581年)、滝川一益が妙心寺56世・九天宗瑞を開山として創建。当初は暘谷庵といいました。

滝川一益(1525~1586)は戦国時代の武将。前半生は不詳。織田信長に仕官、石山合戦、一乗谷の戦いに参戦。天正10年、武田攻めに参加、戦功により信濃に領地を与えられ、関東平定を命じられます。同6月2日、織田信長が本能寺の変で自刃。天正11年、賤ヶ岳の戦いでは織田信孝を擁する柴田勝家とともに羽柴秀吉と戦いますが、勝家は敗れて越前北ノ庄城で自害。天正12年、小牧長久手の戦いでは織田信雄を有する徳川家康と組して再び秀吉と戦い、和睦。一益は秀吉の家臣となりました。天正14年、死去。

慶長11年(1606年)、一益の養女婿・津田秀政が谷庵を中興、暘谷院と改名し津田家菩提寺とします。寛永12年(1635年)、秀政が没すると、秀政の法号・長興院殿光岩道景大居士から長興院と改名しました。

元禄5年(1692年)、妙心寺塔頭・大雲院を合併。大雲院は、慈徳院(織田信忠乳母/織田信長側室)が九天宗瑞を開山として創建したもの。大雲院は織田信忠の法号によります。「妙心寺史」では慈徳院を滝川一益女としています。

通常非公開。

 

 

境内。

 

 

 

長興院;京都市右京区花園妙心寺町63