聖護院にある聖護院です。

 

 

本山修験宗総本山。

平安時代の寛治4年(1091年)、園城寺の僧・増誉は、後白河上皇の熊野詣での先達を勤め、熊野三山検校に任じられます。同年、増誉は後白河上皇より修験道の祖・役行者が創建したとされる常光寺を与えられ、聖体護持から名をとって聖護院を創建。園城寺開基の円珍を聖護院1世とし、増誉は聖護院7世と称します。聖護院10世・静恵法親王(後白河天皇第八皇子)の入寺により門跡寺院となり、幕末まで皇族や摂家の子弟が門主を勤めました。円満院実相院とともに園城寺長吏を出す天台宗寺門派三門跡の一つでした。熊野三山検校は園城寺が任じられていましたが、室町時代以降は聖護院が任じられ、山伏たちを統括、修験道と密接なを関わりを持ちます。

聖護院は応仁の乱で焼失、洛中を転々とした後、烏丸今出川に寺地を構えますが焼失、延宝4年(1676年)、旧地である現在地に戻りました。周囲は創建以来明治時代までうっそうとした森に覆われており、聖護院の森と呼ばれていました。

天明8年(1788年)、天明の大火で内裏が焼失したため光格天皇の仮御所となり、嘉永7年(1854年)、安政の大地震で内裏が被災したときも孝明天皇の仮御所となりました。孝明天皇の妹で江戸幕府14代将軍・徳川家茂の御台所となった和宮親子内親王(仁孝天皇第八皇女)は、明治2年(1869年)、京都へ帰還したとき聖護院を居所とし、再び明治7年に東京へ移住するまで住みました。明治5年、修験道禁止令により、天台寺門宗となります。昭和21年、園城寺から独立、本山修験宗を起こし、総本山となりました。

聖護院は通常非公開。こちらは2018年秋の特別公開のときのもの。

 

 

本堂。

本尊・不動明王像を安置します。

 

 

宸殿。

かつて法親王が居住した建物。現在は法要や行事が行われます。

 

 

謁見の間。

宸殿内部にあります。

建物内部はここだけが撮影可(中に入るのは禁止、廊下より撮影可)。

襖絵は狩野元信の筆によるもの。

 

 

書院。

江戸時代の建造物で、重要文化財。

後水尾上皇が寵妾・逢春門院(櫛笥隆子)のために建てた御殿を、延宝4年、聖護院が現在地に移転した時に移築。当時はまだ珍しかった窓ガラスが使われています。

 

 

中庭。

 

 

 

聖護院;京都市左京区聖護院中町15