岩倉にある実相院です。

 

 

天台宗寺門派系の単立寺院。

寛喜元年(1229年)、静基(鷹司兼基の子)によって園城寺僧房の一つとして創建されたといい、当初は紫野にありました。摂家の子弟が入寺する摂家門跡で、円満院聖護院とともに天台宗寺門派三門跡の一つ。

南北朝時代、延暦寺が南朝に味方したのに対して、園城寺は北朝や足利尊氏に味方。足利将軍家の庇護を受けて足利家子弟が入寺するようになります。室町時代、北小路堀川に移転(現在も実相院町の名が残ります)。応仁の乱の際、東軍と西軍の境目付近にあったため、東軍と西軍が交互に陣として焼失。末寺の大雲寺塔頭があった現在地に移転するも、大雲寺は実相院からの独立を求め対立。江戸時代初期、後西天皇第四皇子・義延法親王が入寺、以降は皇族の子弟が入る門跡寺院となり、岩倉御所と呼ばれました。明治初期、大雲寺が分離。戦後、園城寺より独立し、単立寺院となりました。

四脚門、車寄、本堂は、承秋門院(後西天皇中宮・有栖川宮幸子女王)の女院御所を移築したもの。黒床に庭の紅葉が映る、夏の「床みどり」、秋の「床もみじ」が有名ですが、撮影禁止。画像は撮影可能な外観と庭のみです。

 

 

池泉回遊式庭園。

本堂西側にあります。

 

 

手水鉢。

 

 

兎の像。

 

 

枯山水庭園。

本堂東側にあり、比叡山を借景とします。

 

 

枝垂れ桜。

 

 

 

実相院;京都市左京区岩倉上蔵町121