奈良にある旧大乗院庭園です。

 

 

興福寺にかつてあった塔頭、大乗院の旧庭園。

平安時代の寛治元年(1087年)、興福寺の僧・隆禅によって僧房として開かれます。大乗院3世・尋範は関白藤原師実の子であり、代々摂関家の子弟が門主を勤める摂家門跡となりました。天禄元年(970年)に興福寺18世・定昭(左大臣藤原師尹の子)が創建した興福寺塔頭の摂家門跡・一乗院とともに興福寺本坊となり、交代で興福寺別当を出しました。一乗院が五摂家のうち近衛家、鷹司家の子弟が多く入ったのに対し、大乗院には九条家、一条家、二条家の子弟が多く入寺しました。

当初、奈良県庁付近にありましたが、治承4年(1180年)、平重衡の南都焼き討ちで焼失。大乗院4世/興福寺44世・信円(関白藤原忠実の子)は、元興寺塔頭・禅定院へ移ってここを興福寺大乗院としました。宝徳3年(1351年)、徳政一揆により焼失。室町幕府8代将軍・足利義政の命により復興。義政御用達の庭師であった善阿弥によってこの庭園が造られたと言います。「大乗院寺社雑事記」は一級史料。

明治初期、廃仏毀釈により大乗院、一乗院はともに廃寺。大乗院35世/興福寺237世・隆芳(九条尚忠の次男・英照皇太后の弟)は還俗、松園尚嘉と名乗り男爵となりました。

大乗院跡地にはホテルが建造されましたが庭園は残され、昭和33年、国の名勝となります。昭和48年、公益財団法人・日本ナショナルトラストが管轄。平成22年、復元工事が完了、一般公開されました。

 

 

東大池。

中島が浮かび、赤い橋が架けられています。

もともと残っていた庭池を整備したもの。

 

 

中島に架かる赤い橋は架け替えられ、渡ることができます。

 

 

西小池。

発掘調査により復元されたもの。

 

 

 

旧大乗院庭園;奈良市高畑町1083-1