伏見にある長建寺です。

 

 

東光山長建寺といい、真言宗醍醐寺派の寺。

この地は中書島と呼ばれ、もとは宇治川派流の中州でした。豊臣秀吉が伏見城下に諸大名を集住させた際、中務少輔・脇坂安治がここに伏見屋敷を構えたため、中務の唐名・中書が島の名になったと言います。

伏見城が廃城となると諸大名は伏見屋敷を次々廃止。伏見奉行・建部政宇は、伏見にかつての繁栄を取り戻そうと、中書島を開拓。深草大亀谷にあった即成院(平安時代、橘俊綱が指月丘に創建。焼失により深草大亀谷に移転。現在は泉涌寺の塔頭)塔頭・多聞院の建物を移転させてこの寺を創建。寺名は建部の長寿を祈るということから。中書島には花街が置かれたことから遊女たちが篤く信仰しました。

伏見五福めぐりの一つ。

 

 

本堂。

祭神は、弁財天。

 

 

建部政宇が寄進した灯篭。

 

 

閼伽水。

伏見七名水の一つ。

手水鉢として使われている石は、平安時代、橘俊綱(関白藤原頼通の次男)が伏見・指月丘に即成院を創建した際、宇治から運ばせたと伝えられるもの。

 

 

境内の桜。

 

 

 

長建寺;京都市伏見区東柳町511