伊勢神宮は、正式名称を神宮といい、正宮、別宮、摂社、末社、所管社、125社からなる社の総称。
正宮は天照大御神を祀る皇大神宮と、豊受大御神を祀る豊受大神宮を祀る豊受大神宮の2つからなり、それぞれ皇大神宮を内宮、豊受大神宮を外宮と呼びます。
こちらは皇大神宮を正式名称とする内宮。内宮正宮は天照大御神を祀る内宮の本宮に当たります。
「日本書紀」によれば、叔母の豊鋤入姫命と交代して天照大御神の祭祀を任された倭姫命が、大和国を出立して遷宮を繰り返し、伊賀・近江・美濃・尾張を経てこの地に到り、祠を建てたのが始まりとされます。
正確な創建時期は不明。「日本書紀」天武6年に「祭皇祖御魂」という記事があり、天照大御神を祀るようになったのはこの頃とされます。それ以前は、伊勢の地元神が祀られていたとする説もあります。「扶桑略記」には壬申の乱の戦勝祈願をした天武天皇が勝利後、自身の皇女・大伯皇女を初めて伊勢斎宮としたとし、天皇家の配下に入ったのはこの頃とされます。
壬申の乱に勝利した天武天皇は、勝利を祈願した伊勢の神の神徳を崇めて天皇家の氏神・天照大神を祀ることとし(内宮)、もともとあった地元神を移します(外宮)。天武天皇2年(673年)、天武天皇は天皇の御杖代として伊勢神宮に仕えさせるために第一皇女・大伯皇女を伊勢斎王に任命。天武天皇3年、大伯皇女は伊勢に下ります。以降、伊勢神宮に仕える未婚の皇女である伊勢斎宮が制度化。南北朝時代の後醍醐天皇皇女・祥子内親王まで続き、廃絶しました。
伊勢神宮の主要な祭礼を主宰する神宮祭主は、記録が残る平安時代頃よりより江戸末期まで大中臣家(江戸中期より藤波家と名乗る)が勤めましたが、明治時代になると華族が交代で任じられます。昭和22年、北白川房子さん(明治天皇七女)が神宮祭主に任じられて以降、現在まで皇族出身の女性が任じられています。現在の神宮祭主は池田厚子さん(昭和天皇四女)。臨時祭主は黒田清子さん(今上の長女)。
五十鈴川。
宇治橋の上から見たもの。
宇治橋を渡ると内宮の聖域。
参道。
御手洗場。
五十鈴川の流れで手を清めます。
神楽殿。
御稲御倉。
外幣殿。
正宮。
主祭神は、太陽の女神、天照坐皇大御神(天照大御神)。
四つの垣に囲まれた奥に正殿がありますが、撮影はここまでです。
相殿に、天手力男神、万幡豊秋津姫命を祀ります。
皇大神宮(伊勢神宮 内宮)正宮;三重県伊勢市宇治館町1







