こんにちは、
不登校児の母歴4年の
みーこです
現在21歳の息子
通信制高校の3回目の3年生←去年の4月からココ
卒業に向けて12月に
4年ぶりに自分の足で行動し、
卒業が決まりました
ただいま自分と
子供たちの心の
根っこを育て中
※※※
自分軸を私の脳内で検索中
私には
日常生活の中でやりたいけど
出来ない事がいくつかある。
そのうちの一つが車の運転中の
道を譲りますよ~、の
パッシングだ。
出来ないのはどうしてか?
やった事がないから怖い
中途半端にやって
相手から反感をかいたくないから。
出たっ!!
私のお得意の自分価値観深読み
◆◆◆
今日もその場面があった。
相手は右折、私は直進。
「あ~パッシングして
道を譲る距離が十分にあるよなぁ。
パッシングしたい…けど…出来ない」
と自分の気持ちをわかりつつ
叶えられなかった。
右折車と私がすれ違った後
私の前を走っていた車に対して、
「前方車の人がパッシングしてくれたら
良かったのにな~私がこの思いを
引きずる事なかったのになぁ」
と私の気持ちがでてきて、
同時に、
後続車の人が譲ったかな?
とバックミラー越しに確認した。
その時ハッとした
私の気持ち、願い、願望を
知るすべがない他人に
察して~
受けとめて~
叶えて~
行動して~
と私は境界線を踏み越えるように
自分のエネルギーを他人に向けて
いたのかもしれない、と気づいた。
たまたま察してくれたら
↓
いい人認定
察してくれない
↓
気が利かないイヤな人認定
(私の憤慨対象だった
以前は主人、子供も)
察してくれない人。
その感覚がない人。
察する必要はないの考えの人。
いろいろな価値観の人がいる。
私は他人の反応に
自分の作ったジャッジを当てはめて
ラクを感じたり、
自分を苦しめたり、
辛くしていたんだ
今回のシチュエーションでは、
前方車がパッシングしたなら
それはその人の判断って事だけだ。
パッシングした人と
譲ってもらった人の
コミュニケーションだ
私がそれに、
私の気持ちを察してくれて
ありがとう~、は違うな
◆◆◆
自分の気持ち、願い、願望を
自分が受けとめる、叶える、
行動すればそれで完結する
あたたかく完結する。
そうした私ありがとう♥だ。
エネルギーが発生する感じがある。
自分の機嫌は自分でとる
アラフィフ主婦、次回の為に
パッシングの方法をググりました
୨୧~最後まで読んでいただき
ありがとうございます