連載13【長澤松平風聞記】 その13 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

 

現代に生きる私たちが

 

過去のことを知ろうとする時、

 

誰が嫡男で、

 

誰が正室で、

 

どこの一族と結びつきを強くして、

 

誰が城を継いで

 

誰が補佐役になって、

 

など

 

全てを明確に知りたいという

 

知識欲が出てくるが

 

調べていると

 

そういうものは

 

案外、目の前の”壁”になるな

 

と感じることが多くなった

 

今を生きている私たちだって

 

数分後のことはわからない

 

ましてや、

 

次の代のことなんて

 

予測する術がないのである

 

いくら、子孫のために

 

あれもこれもと決めてかかっても

 

子孫は考えも違うし

 

生きる時代も違う

 

きっと

 

その時代に家系図を書いたであろう人たちも

 

自分達の希望や理想が

 

盛り込まれているところもあるだろうと思う

 

名前が残されていないということは

 

それを描いた時には、まだ決まっていない

 

もしくは、書き残したくない理由があったから

 

それは、今の時代に家系図を残すことになっても

 

同じだと思う

 

あれがわからない、

 

これは残されていない、と

 

難しく考えるよりも

 

だったら

 

ああいうことも考えられる、

 

こういうことも導き出せると、

 

想像を膨らませた方が

 

楽しいし、

 

より真実に近づくのではないかと思う

 

 

同じ物事を書いていても

 

記録する人の立場や考えによって

 

180度変わってしまう

 

要は

 

どうしてその人は、こんな書き方をしたのか

 

である