連載2【長澤松平風聞記】そのニ | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

「松平」とは、歴史好きなら誰もが知っている氏族

 

徳川家康公が、「徳川」と名字を改める前の名字である

 

自分自身は、40代後半で地元の歴史をまとめるようになってから

 

歴史の面白さにハマったが、

 

それまでは、松平家と徳川家の関係性も知らなかった

 

 

 

 

こうして調べていくと

 

松平家とは、家康公が登場したために

 

有名になったと言われているが、

 

その面白さは、勢力を広げるために彼らが密かに行った戦略であると思う

 

松平家は、室町時代に豊田市の松平郷に登場した

 

新興勢力で、一小豪族にすぎなかった

 

そんな豪族や、天下を狙っていた武家は

 

いくつもいただろうに、

 

どうして、豊田市の田舎の小豪族であった

 

松平氏が並み居る氏族や貴族、皇族を抑え、

 

一大勢力となりえたのか

 

地元の蓄えや人力だけでは到底なし得ない

 

人脈と資産は、どこから調達したのか

 

そして、それらをどうやって利用し、運営していったのか

 

その辺りが武力中心の武家とは

 

目の付け所が違っていたのだろうと思う

 

非常に広い見識を持って世の中を見ていた人がいた

 

そして

 

「松平」

 

という名字をブランド化したのだ

 

自分としては、そこまでの経緯が非常に興味深い

 

 

 

 

徳川家康公は、松平としては9代目

 

徳川家としては初代である

 

その、9代目までに至る経緯は

 

NHK大河ドラマ「どうする家康」でも描かれているように

 

決して平坦な道ではなかった

 

その時代、その時代においての

 

それぞれの苦労は、計り知れないものがある

 

表面的な家系図一枚で、

 

そうだったんだ、と簡単に済まされるものではない

 

現代にはない、生々しい人間臭さと

 

途方もない、闇と栄華が横たわっているのである

 

 

 

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