連載100 【頼朝・尊氏が三河から消えたわけは】 その三 | 東海愛知新聞『矢作に住んでみました』バックナンバーはコチラ

まずはお礼です*:.。. .。.:*☆

 

おかげさまで、2020年4月から始まった

 

「矢作に住んでみました」は

 

無事に連載100話目を迎えることができました。

 

これも、ひとえに

 

連載を楽しみにしてくださっている皆様

 

執筆にご協力くださる皆様

 

おひとり、おひとりのおかげです。

 

この場にて、厚くお礼を申し上げます。

 

支えていただき、本当にありがとうございました。

 

今後も続く予定ですので、

 

これまで同様に、楽しみにしていただければ嬉しいです。

 

このブログへの掲載は、実際の新聞掲載日よりも

 

数週間遅れの掲載となります。

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

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ということで、

 

記念すべき100話に合わせ

 

今までで一番大切と思うことを最後に持ってきた。

 

歴史とは、「勝者の報告書」であると言われる。

 

それは当然だと思う。

 

その時代の勝敗により、正悪が決まり

 

後世へと残されるからね。

 

負けたものが、歴史に残されることはなく、

 

正しく書かれることもない。

 

なぜなら、そのようなことを残すことは

 

自分達のやってきたことを、否定することになるもんね。

 

 

しかも、英語のhistoryとは

 

「his」「story」

 

つまり、「男の(his)」の「物語(story)」なのである

 

これでは、偏るなという方が無理な話だと思う

 

 

 

 

それが、現代では多方面に渡り、研究が進んで

 

定説だと思われていたことが

 

次々と覆されるようになった

 

現在もNHK大河ドラマでは、徳川家康公の話を

 

放送しているが、

 

家康の話なんかは、特に情報量もあり、塗り替えされることが多く、

 

2週間ごとに、定説が入れ替わっているそうである

 

それを、最先端で言い合っている学者の先生たちが

 

誰でもみることができるSNSで発信するのだから

 

非常に面白い時代である

 

頭の硬い人は、ついてくることができないかもしれないなぁ・・・

 

昔覚えたことが変わるって、違和感あるかもしれないよね

 

しかし、こうして時代が進むにつれ

 

同時に、歴史の定説も塗り替えされるとは

 

面白い二重構造だと思うな

 

 

 

私たち、歴史クラブが取材している時にもいろんなことがある

 

その場では話してもらえても、

 

公にはできない話、見せられないものなどが、結構出てくるのよね

 

 

しかし現代は、そのようなものであっても

 

求める人には提供される時代である

 

何事も、諦めちゃいかん

 

 

 

 

逆に

 

新聞や、テレビ、ネットニュースなど

 

公に発信されたものを、頭から信じてしまう人がいる気持ちもわかるが

 

それは、非常に危険な行為だと思うな

 

 

 

歴史や史実を追いかけていても

 

「どうして、これを信じてしまうのだろう」

 

「どうして、これを疑わないのだろう」

 

そう思わされることがたくさんある

 

 

 

 

自分が日本の歴史に興味を持ち始めたのが

 

大人になってからということもあるし、

 

元々、

 

天邪鬼な性格で、疑い深いということも

 

あるかもしれない

 

 

 

しかし、その、

 

たった1行の裏側には

 

何年、年十年

 

何人、何百人という

 

深い謂れが横たわっていることも多くあることを知った

 

史実に残されない名前

 

史実に残されない出来事

 

史実に残されない多くの犠牲

 

それらの方が、よっぽど人間ドラマがあると思う

 

 

 

 

私が描いてきたものは

 

答えを出していないことが多い

 

導くことはあっても、決定的には押し付けることはない

 

それはなぜかというと

 

それは、この世にタイムマシーンでもないかぎり

 

誰にも真実は、わからないからである

 

 

自分達のおじいちゃん、おばあちゃんのことさえも、

 

両親のことだって、知っていることって意外と少ない

 

 

そんな中でも、知りたいと願い、

 

丁寧に見つめていけば

 

わかる事はたくさんあるのも事実である

 

 

 

鎌倉幕府を開いた、源頼朝にしても

 

幼い頃に命が助けられたのは

 

熱田大宮司家の血筋だから、という理由だけじゃないんだよね

 

藤原南家の血筋だからである

 

 

 

 

このように、丁寧に調べていけば明らかにできることでも

 

強いキーワードに引っ張られ

 

見失ってしまうことは多い

 

それを見つ出す快感が、取材や執筆をする上で

 

大きな原動力へとつながっているのだ

 

 

 

私は、自分が書いた記事を読んでいただくことで

 

「あなたが認識していることは、実は違うんですよ」

 

ということを言いたいわけではないのよね

 

 

「こういう見方や考え方を増やしていくと

 

もっと面白く、心豊かになりそうじゃないですか

 

新発見が、ありそうじゃないですか

 

そして、新たな発見があったら、ぜひ、教えてくださいね」

 

という提案である

 

そしてさらにその先に、史実を明らかにするヒントが

 

見つかれば最高だと思う

 

そして、

 

誰かの書いたものを読み、誰かの主張することを聞き、

 

それを鵜呑みにするのではなく、

 

それを頭ごなしに否定するのではなく、

 

なんでも自分自身で検証していく癖がつけば、

 

世間に蔓延る、詐欺や、占い、捻じ曲げられた情報にも

 

振り回されなくなるのではないかなぁ

 

そんなふうに、思っている