◆◆ ロイの書斎 ◆◆ -4ページ目

◆◆ ロイの書斎 ◆◆

頭に浮かんだことをエッセイ風に書き綴っています

小学校の時『スパイひみつ大作戦』(小学館入門百科シリーズ)という本を何度も読んだ記憶がある。
その中に載っていた一枚のコインから逮捕されたスパイの話が何故かお気に入りだった。

ブルックリンの新聞配達少年が、1枚の硬貨を見つめながら首をかしげていた。
どうもこのコイン、ちょっと軽い気がする。
試しに地面に落としてみると、ぱかっと2つに割れて中から出てきたのはマイクロフィルムだった。
その偽造のコイン型ケースが証拠となって、やがてFBIはソ連の大物スパイ、アベル大佐を逮捕する。
だが、なぜそんなものが、新聞配達の少年の手に渡ったのかは謎のままだ。

スピルバーグ監督の「ブリッジ・オブ・スパイ」を観て、この話を思い出したのは、冒頭にこのコインが登場するからだ。

1957年、米ソ冷戦時代。
ニューヨークで、自称画家の男がFBIにスパイ容疑で逮捕される。
彼の名前はルドルフ・アベル(実は本名ではない)。ソ連の大物スパイだ。
厳しい尋問にもまったく動じず、秘密を何一つ漏らさないアベルは、アメリカへの協力も断固拒否した。
裁判にかけられることになり、政府はニュルンベルク裁判では検察官を務め、今は腕利きの弁護士のドノヴァンに白羽の矢を立てる。
初めは乗り気でなかったドノヴァンだが、どんな人間にも公正な裁判を受ける権利があると考え、引き受ける。
アベルの人となりを知っていくうち、ドノヴァンは彼に尊敬の念を抱くようになってきたが、裁判はアベルを死刑にする方向に傾きかけていた。
ドノヴァンは必死で判事に掛け合い、もしアメリカ人がソ連に捕虜として捕まった時には、スパイ交換の切り札にできるとも説得、結局懲役30年の刑を勝ち取る。
そして五年後、それが現実となる。
ソ連上空を高高度でスパイ飛行していたU-2偵察機がソ連に撃墜され、パイロットのパワーズが捕虜となる。
時を同じくしてベルリンでは、交換留学生のプライヤーがスパイ容疑で逮捕される。
ドノヴァンは政府から非公式にパワーズとアベルの交換の交渉を依頼され、一路西ベルリンへ。
そこでプライヤーの話を聞いたドノヴァンは、パワーズだけに集中するよう要請するCIAの指示を無視して、2人同時に交換すべきだと主張、交渉を開始するため単身東ベルリンに入る。
だが、そこは鉄のカーテンの向こう側。
アメリカのサポートがいっさい受けられない状況で、ソ連と東ドイツの2国と渡り合うドノヴァンの孤独な闘いが始まる。

裁判中、ドノヴァンの家が襲撃されるなど、信じられない嫌がらせがあるが、冷戦時代のアメリカ人が、コミュニズムに対してどれほど嫌悪感と恐怖心を持っていたかがよくわかる。
まさに建設中のベルリンの壁が登場するが、このシーンもまたこの時代を表す象徴的な場面だった。

映画全体としては、アベルの裁判、U-2偵察機撃墜、留学生の逮捕、ベルリンでの捕虜交換という4つの事件が鮮やかに繋がり、よく練られた編集だと感じた。
また、ドノヴァンが初めて登場する際の何気ない台詞のやり取りまで伏線になっていて、重要な場面で生きてくる脚本も秀逸である。
前半の裁判もみどころだが、後半のベルリンでの交渉劇は、最後の最後まで緊迫感に満ちていて、とてもスリリングだった。 
また、アベルとドノヴァンが最後に交わす会話で、アベルが本国でどう扱われるかが車に乗せられる瞬間わかってしまう。
その時のなんとも言えないドノヴァンの表情も見逃せない。

ちなみにこのドノヴァンという人、映画の宣伝のように普通の男では決してない。
この事件の後、カストロと一対一で渡り合い、長い年月をかけて、最終的にキューバから9700人の人々を救出した凄い人である。
まさにアベルが評した通り決してあきらめない不屈の男だった。

米ソの対立は、ベルリンの壁の崩壊とともに終わったが、今もまだ形を変えて様々な対立がある。
政治思想、人種、民族、文化、宗教等々自分達と異なるものへの不寛容を改めない限り、分断の世界は永遠に終わらない。
キエフに生まれ、フランスに移住したユダヤ人の作家イレーヌ・ネミロフスキーは、アウシュヴィッツで1942年に死亡。
夫もその後同じ運命をたどるが、残された娘2人は無事生き残った。
別れ際に託された形見のトランクに入っていたのは未発表の小説の原稿。これが死後60年以上経ってから上梓された「フランス組曲」という作品である。
発売されるやいなやベストセラーとなった未完の小説が、今度は映画として蘇る。

1940年6月。
ドイツ占領下のフランス中部の町ヴィシー(大戦中パリに代わって首都となった)。
3年前に結婚したリュシルは、義母と2人暮らし。
大きな屋敷に住み、裕福な暮らしをしていたが、生活の苦しい小作人からも平気で小作料を徴収する義母を嫌悪し、好きなピアノも自由に弾かせてもらえない生活だった。
そんなところにドイツ軍の将校ブルーノ中尉が屋敷に滞在することになる。
いつもピアノを弾いているブルーノにリュシルは魅了され、共に音楽とピアノを愛する2人は、いつしか互いに惹かれ合う。
だが、ある時事件が起こり、リュシルの人生を大きく変えていく。

「戦いは人間の本性を暴く」
とは劇中の台詞だ。

厳然たるフランス階級社会の中で、子爵はドイツ側に取り入り、賄賂で厚遇を受けようとし、リュシルの義母は、食料をこっそり買い込み、小作人を家から追い出して、パリからの避難民に倍の家賃で貸す。
若い女性は、ドイツ兵と肉欲にまみれ(推定10万人の子供が産まれた)、多くの人々が、隣人の秘密を密告する。

あくまでも客観的な視線で敵味方の区別なく、戦争が引き起こす人間の愚かな振る舞いを平然と描く。
あまり知られていないが、ヴィシー政権下では、ユダヤ人抑圧法により、1万人以上のユダヤ人がフランス人によって、強制収容所に送られた。 
作者にとっては、フランス人もドイツ人も敵だったからこそ、平等な視線で捉えることができたのかもしれない。

また本作は、主人公リュシルの成長物語でもある。
上流階級の女性は、他人の庇護がなければ生きていけない。結婚も親のいいなりだ。
「タイタニック」のヒロインや「六の宮の姫君」と同じである。
だが、リュシルはブルーノと出会うことで、自らの意志で行動することを決断する。
禁じられた愛に翻弄されるも、それを振り切り、愛を超えた先にある自分の生きる道を歩もうとするリュシルがとても美しく、凛々しい。
マンハッタン計画は、元々ナチスの原爆開発への危機感から始められたアメリカの原爆開発・製造計画であったが、ドイツが降伏した後も継続し、標的は日本に変えられた。
選ばれたのは、広島市と小倉市。
だが、2回目の原爆投下の時、小倉市が悪天候だったため、目標は長崎に変更された。

戦後70年の節目に製作された山田洋次監督の「母と暮らせば」は、井上ひさしの遺志をついで「父と暮らせば」と対になる作品として作られた長崎の原爆で引き裂かれたある親子の物語である。

1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。
助産婦の福原伸子は、長崎医科大学で授業を受けていた息子の浩二を失う。
消息を探し続けた伸子であったが、3年後の命日、息子はもういないことを認める決心をした。
陰膳もやめることを息子に語りかけるように話していると、ふと背後に人の気配を感じる。
振り向くと死んだはずの浩二が階段に座って笑っていた。
それから2人は様々なことを話し合う。
昔の楽しかった思い出、亡くなった兄のこと、そして浩二の婚約者だった町子のことを。

冒頭、原爆投下の記録フィルムと大学へ向かう浩二のカットバックから始まるが、「ぼくはメッセージのための映画はつくりません」と言う監督の言葉通り、決して戦争への強いメッセージ性があるわけではなく、爆発後の目を背けたくなる様子も描写されることはない。
あくまでも愛する人を失った家族や恋人が、それにどう向き合っていくかが描かれており、亡霊となった息子と母親の会話は、時にとてもユーモラスだ。
2人の周囲の人々も様々な思いで戦後を生きている。
伸子のことに好意を持ちながら、闇物資を持ってくる上海のおじさんは、寅さんみたいにとてもいいキャラで、戦後のドサクサをエネルギッシュに生きる。
母を亡くした女の子は、父も戦死したことを聞かされ、涙をこらえながら2人の妹を守ることを毅然として決意する(実話のエピソードを挿入)。
そして浩二の婚約者だった町子は、たまたま工場を休んだために原爆を逃れ、生き残ったことに後ろめたさを感じて生きている。
だが、伸子が新しい人生を歩むよう諭してそれを受けいれた町子が、伸子に新しい恋人を紹介するくだりは、なんとも言えない寂しさと喜びの入り混じった情感溢れるシーンだった。
やがて訪れるファンタジックなラストは、悲しいのにあたかもハッピーエンドのようなとても穏やかな感触だった。

いつの時代でも母は強く、優しい。
その深い愛を感じながら、本作を敷衍していくと、今もどこかで繰り広げられている戦争がどうすれば終わりにできるのか、原爆はどうすればなくなるのか、ということもふと心によぎる。
ルーカスフィルムがディズニーに身売りした。
これは衝撃的だった。
私のようなディズニー嫌いには大問題である。
ミッキーマウスとダースベイダーが一緒にパレードする日も遠くない(もしかしたらもうやってる?)。

それはさておき、いくらディズニー配給になったからといって、中学生の頃から欠かさず観ているスターウォーズ シリーズを見逃すわけにはいかない。
しかし「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は観る前からどうも気に入らないことだらけだった。

公開前後の異常なフィーバーぶり、監督がJ・J・エイブラハム(他におらんの?)、通常料金が特別価格2000円とはどういうことだ?
MX4D(体感型3D上映)だと➕1200円とは、もはやぼったくりバーの所業である。
o(`ω´ )o
ところで、テレビでよくやる映画の感想のインタビューほどくだらないものはないといつも思っているのだが、この映画の場合は、特に揃いも揃って、驚くほど内容がない。
それもそのはず、本当にポイントを突いた感想は、テレビではとても流せない。
┐('~`;)┌ 

昔々、銀河系のはるか彼方で…

同盟軍が帝国との戦いに勝利してから30年の月日が流れた。
一度は戦力を失った帝国軍だったが、その残党はファースト・オーダーと言われる巨大な軍事力を持つ組織へと変貌していった。
ファースト・オーダーと戦ってきたレジスタンスのレイア・オーガナ将軍は、勢いを増してきたファースト・オーダーに危機感を覚え、最後のジェダイの騎士である行方不明の兄、ルーク・スカイウォーカーを密かに探していた。
レイアの命令で、砂漠の惑星ジャクーへ降り立ったポー・ダメロンは、ルークの所在が記された地図を手に入れるが、ファースト・オーダーに襲撃され、捕まる直前ドロイドのBB-8の中に地図を隠す。
主人を失ったBB-8は、砂漠で彷徨いながら孤独な少女レイに出会う。

いやいや驚いた。
面白くなかったとは言わないが、意図的とはいえ主人公の境遇もあらすじもこれはエピソードⅣ<新たなる希望(A NEW HOPE)>の焼き直しだ。
リメイクと言っても過言ではない。期待はずれの失われた希望(A LOST HOPE)だった。
こじつけるならそれに加えて、スタートレック3「ミスタースポックを探せ」をもじって「ルークを探せ」というサブタイトルをつけたい衝動に駆られた。

Ⅳ~Ⅵの3部作のメインキャストが全員登場するということで、わくわくしていた人はあまりにも軽い扱いに憤慨しただろう。
老け込んだ3人(ハンソロ、レイア、ルーク)になんの感慨もないから、足元のアップから徐々にせり上がってきたりとかもったいつけた撮り方も一切なく、いままでのシリーズへのリスペクトなど微塵も感じられない。
ダースベイダーに変わって登場したカイロ・レンは、小者感丸出しで、怒り出したら止まらない気性の荒さが浮きまくり。
暴れまくって、コンソールをライトサーバーでメッタ切りするなど、とてもフォースの暗黒面を体得した男とは思えない。
しかも簡単に仮面を
えっ?外すの?
中から表れたのは…ごくごく普通の白人青年。
仮面が呼吸装置の代わりになっているわけでもなく、犬神佐清のごとく顔に醜い傷があるわけでもないので、仮面をかぶっている意味がわからない。
そんな初登場の顔を見たところで、もちろんなんの驚きもなく
「お前は誰や?」と言うばかりだ。
そうそう、ボートレースのCMで、マスクを取った女性の正体が誰だかわからず戸惑ったのとまったく同じである。
さらに衝撃の事実をさらりと暴露する演出の練りのなさが残念すぎる(一応ネタバレになるから書かないが)。
決められたアイテムを嵌め込むために書かれた置きに行った脚本としか思えない。

よく考えてみたらそもそもなぜフォースを扱えるジェダイが必要なのか、そこがきちんと説明されていない。
1人いるだけで星間戦争の行方を左右するほどの力が本当にジェダイにあるのだろうか?
Ⅳでは照準器を使ってもプロトントーピドーを排気口の中に命中させることができず、ルークはフォースを使って命中させた。
これはフォースの力を示すいい例だが、こんな特殊な状況の時だけ役にたってもしかたない。
Ⅴ、Ⅵでは戦争そっちのけで修行に行ったりしてたような気がするし、戻ったら戻ったで命がけの親子喧嘩、今回のⅦでは終わる5分前まで行方不明と、まさに究極のエゴイスト。こんな奴ハイパードライブまでしてわざわざ探しに行く必要があるのか?
まぁ、30年近く修行していたわけだからⅧ、Ⅸでは惑星破壊規模の力を見せてもらいたい。
おっと、そんなことしたらルーク自身が人間デススターになってしまうが。

今回のサブタイトル「フォースの覚醒」で誰が覚醒したかというともちろん主人公のレイだ。
まだテレキネシスもライトサーバーを引き寄るぐらいの力しかないから、せいぜい狭い隙間に落ちた洗濯物を拾うぐらいしか役に立たないが、Ⅷではきっと一気にフォースに磨きをかけるだろう。

今回一番の目玉は、ネタバレになるから言えないが、メインキャストにかなりまずいことが起きる(Ⅴよりヤバい)。
これこそクリフハンガー的演出だが、散々言ったように置きに行った脚本なので盛り上がりに欠ける、欠ける。
このシーンはどうにかしてもっと最後に持ってこないと。
ジェダイマスターの伝説級の技の中には命の蘇生という秘儀があるので、Ⅷで本当にジェダイの真骨頂を見せてもらいたい。
とネタバレ寸前まで書いてしまった。
危ない、危ない
フォースの暗黒面に支配されそうだ。
ヨーロッパとアジアの文化が交錯する国、トルコ。
日本人にはあまり馴染みのない国ではあるが、カッパドキアの日本人女性殺害事件の時の地元住民の反応を見ても分かる通り、トルコは昔から親日派の多い国である。
そのきっかけが、125年前の海難事故だったことは有名な話だ。

「海難1890」はその時の模様を描いた話であるが、後半予期せぬおまけが付いていた。

日本の皇族がトルコを表敬訪問したのを受けて、トルコは天皇への親書を携えた使節を乗せて、フリゲート艦エルトゥールル号を派遣した。
その帰路、エルトゥールル号は和歌山県沖で台風に見舞われ座礁、それを発見した村人達は、暴風雨の中、乗組員達を必死に救助し手当てするのだった。

それから約100年後、1985年のテヘラン。
イラン・イラク戦争の停戦合意が破られ、サダム・フセインが、48時間後全ての航空機を攻撃すると宣言。外国人が次々と脱出していく中、政治的理由で救援機が出せない日本人だけが取り残されていった。
大使はトルコが最後の飛行機であることを知り、思い切ってトルコ政府に救援機を依頼する。
トルコ首相は、周囲の反対を押し切り、日本人のための救援機を派遣することを決断する。

婚約者が海の事故で亡くなったショックから口がきけなくなった役を忽那汐里がやっていて、あれ?と思った人も多いはず。
英語を話すシーンがあるのになぜバイリンガルの彼女が話せない役なのかと思ったら、1985年のテヘラン編に、日本人教師の二役で登場、ばっちりネイティヴな英語を披露した。あぁここで必要だったのかと納得。

ラストに海中に沈んだ太陽と三日月をかたどった兜の飾りがクローズアップになる。
日本のお土産にトルコの船員が125年前に買ったものだ。
両国の国旗をモチーフにしたようで友好の証しとして象徴的だった。

と、ここで映画は終わりかと思っていたら、突然100年後にフラッシュフォワード。
テヘラン編が始まる。

(;OдO)えぇ~
なんじゃ、これは!
実はこの映画あらすじも何も知らずに予備知識0で観たので、まったく予想していなかった(パンフレットも売り切れていた)。
いやいや、どう考えても1890年のエピソードだけで終わらせるべきではないか。
だが、両国政府の思惑があるようで、日本人に受けた恩をトルコ人が返してチャラというような図式が必要だったらしい。
というのも映画の最後には現在のトルコ首相が登場するし、公式ホームページでは安倍首相のコメントが載っていた。
明らかに政府の関与が伺える。

あぁ、なんてことを
長い時を隔てて築き上げた両国間の深い絆はこれからも大事にしていきたいと思うが、名もなき日本とトルコの人々の見返りを求めない助け合いの精神をプロパガンダに利用されてはたまらない。
アインシュタインによると我々は4次元世界にいる。
この世界は、3次元空間と1次元の時間が一体化した連続体であり、これを時空連続体、あるいは4次元連続体と言う。
そして時間は不可逆的で、決して過去には移動できない。
量子力学では、様々な状況の時空連続体が無数に並行して存在(並行宇宙、パラレルワールド)するという考え方もあり、これを多元宇宙論や多世界解釈と言う。
例えば、私が17歳で死んでいる世界もあれば、ずっと長生きして150歳まで生きている世界もあるかもしれない。干支に絡めて言えば猿が支配する惑星もあるかもだ。
この並行宇宙は、お互いに干渉することはないが、量子コンピューターが実現すれば、別の並行宇宙に情報を送り込み、向こうの世界で実体化させることにより、見せかけのタイムトラベルも可能かもしれない。
マイケル・クライトンの「タイムライン」はこの理論に基づいている。
見せかけというのは、つまり移動した過去の世界はあくまでも別の並行宇宙であり、現在の我々の世界にはなんの変化ももたらさないという意味だ。

高野苺原作の「orange」は、量子コンピューターではなく、もし人を愛する強い想いによって(ここが死ぬほど強引だが)、文字情報を手紙という形で過去の時代の並行宇宙に実体化させることができたら?というif世界の物語である。

長野県松本市に住む高校生・高宮菜穂は16歳。
高校2年の始業式の日、鞄に自分自身が差出人の分厚い手紙が入っていることに気づく。
中身は10年後の26歳の自分から送られたもので、その日から起こる出来事と後悔と16歳の自分へのお願いが綴られていた。
誰かのいたずらだと思ったが、手紙に書かれていた通りに始業式の日、成瀬翔(かける)が東京から転校してきて、予告通り彼を好きになる。
やがて手紙の目的が、大晦日に自殺した翔を救うことであることがわかり、菜穂は翔のために懸命に新しい未来を築こうとするのであるが、なかなか思い通りにいかない。
翔の最後の日が刻々と迫ってくる中、菜穂は到底信じてもらえないと思いながらも親友の須和に相談すると、なんと彼も未来の自分から手紙をもらっていた。

多元宇宙論を用いてタイムパラドックスを回避しているところが、従来のご都合主義的ファンタジーとは一味違うところだ。
冒頭で説明したように26歳の菜穂が生きている翔のいない世界を<26a>とし、手紙を受け取った16歳の菜穂を<16b>とすると、たとえ<16b>で翔が生きていても<26a>の世界では翔は死んだままなのだ。
映像ではカットバックのように見える過去と未来は、実は別の世界の描写ということになる。

そう考えると、手放しでは喜べないラストがとても切ない。
自分の世界では救われなくても可能性のある別の未来に希望を繋ごうとした主人公の純粋な気持ちに(女子中高生向けに作られた映画だと思いながらも)不覚にも胸を打たれた。

もし別の未来で10年前からやり直しが利くのなら、あなたは10年前の自分にどんなアドバイスをするだろうか。
チェスも将棋も起源はインドの「チャトランガ」と呼ばれるボードゲームだと言われている。
元々は戦争を模したゲームであった通りに、チェスはやがて米ソ対立の道具となって行く。
エドワード・ズウィック監督の「完全なるチェックメイト」は、冷戦時代にアメリカに現れた天才チェスプレイヤーの並外れた才能と誰にも理解されなかった壮絶な苦悩を描く。

1972年、チェス世界大会を世界中が固唾を飲んで見守っていた。
ソ連が24年間チャンピオンとして君臨していたチェス界に今アメリカ人の若き天才が挑戦しようとしていたからだ。

彼の名はボビー・フィッシャー。
幼い頃からチェスの才能を発揮し、15歳で当時史上最年少のグランドマスターとなる。
チェスの腕前をメキメキと上達させる一方で、誇大妄想や奇行もエスカレートしていく。
ある大会での暴言のせいで試合ができなくなるが、ニューヨークのやり手弁護士ポール・マーシャルが代理人になり、一流のチェスプレイヤー、ビル・ロンバーディ神父をセコンドにつけると再び世界へ。
国際試合を順調に勝ち進み、ついにアイスランドでソ連のチャンピオン、ボリス・スパスキーに挑戦する。
だが、陰謀論にのめり込んだフィッシャーの精神はすでに崩壊寸前だった。

傍若無人でわがままな主人公に周囲は振り回されながらも懸命にサポートするが、彼らが愛したのはフィッシャーの才能であって、心の病を本気で心配し、チェスをやめさせてでも治したいと考えたのは、フィッシャーの姉ただ1人だったのがなんとも悲しい。

神ががった指し手で世界王者になったが、その後の人生は悲惨だ。
冷戦の生贄として翻弄された人生は、結局何をやっても満たされず、間断なく苦痛が訪れる無間地獄のように思えた。

チェスは真実を探求するゲームだと言う台詞があったが、過激な思想にかぶれ自分を見失っていった彼にとって真実とは一体なんだったのだろうかと考えるとなんともやるせない。
日本のシンドラーとして名高い杉原千畝(ちうね)のユダヤ人を助けた行為は、もちろん大変尊いものだが、彼の真価は高い諜報能力にあると映画「杉原千畝」を観てそう思った。

1934年、満州で諜報活動を行っていたインテリジェンスオフィサー(情報収集が主な役目の外交官)の杉原千畝は、ソ連との北満州鉄道譲渡の交渉で、ソ連側の弱みを握り、日本に有利な契約を成立させた。
だが協力を要請した関東軍の非情な目論見によりソ連軍のみならず一緒に闘ったロシア人の仲間も殺されてしまう。
そのせいで次の赴任先だったモスクワ大使館は、ソ連から危険人物と見なされ入国拒否される。
代りにリトアニアの日本領事館への勤務を命じられた杉原は、さっそく新たな諜報活動を開始、やがてドイツの真の目的を見抜くのだが…。

杉原に助けを求めてきた6000人のユダヤ人の多くは、ナチスのポーランド侵攻により国を追われた難民だった。
当然ながらドイツと同盟を結んでいた日本がユダヤ人を助けるわけにはいかない。
しかも彼らのサポートをしていては諜報活動に大きな支障が出る。
杉原の右腕としてスパイ活動をしていたポーランド人のペシュでさえ同胞の彼らを見捨てるよう忠告する。
そもそも杉原自身にはなんのメリットもない。
それどころか彼らに関わっては今のポストを捨てるだけではなく、家族ともどもどんな目に合うかわからないのだ。
本国からもゲシュタポからも睨まれ、自分の輝かしいキャリアをふいにし、家族を危険にさらしてもなおユダヤ人を助けることを決断した彼の正義を貫く信念に驚嘆した。
またリトアニアを脱出した後、杉原に共鳴した他の日本人の助けがなかったら彼らは日本に到着できなかったはずで、そんな日本人もいたということもぜひ覚えておきたい。

だが冒頭で書いたように彼の諜報能力の凄さにもっと光を当てるべきだと思う。
当時多くの日本人が軍国主義に凝り固まり、何の根拠もなく自国の勝利を信じていた中で、国際情勢を的確に分析し、今の状況が続けば日本とアメリカはやがて衝突する。戦争になれば日本は必ず負けるだろうと判断し、なんとかアメリカとの戦争を回避しようと尽力した。
もし彼の言葉を真剣に検討する政治家がいたならば日本のその後は大きく変わっていただろう。
ソ連に“persona non grata(ペルソナ・ノン・グラータ:歓迎されざる人物)”と言われた杉原だが、テロやそれに伴う難民問題で揺れる国際情勢を思うと、彼のような世界を変えたいという強い意志を持った正義が今また必要なのではないだろうか。
なんとか年末にTOHOシネマズのマイレージが6000マイルを突破、1ヶ月間フリーパスの特典を使うことにした。
高校生の姪に教えてもらったのだが、ひとりぼっちのことを若い子の間では“ぼっち”と言うそうで、それに倣うとフリーパスでの映画三昧はまさに「ボッチ映画祭」。
カタカナ表記するとなんとなくアボリアッツ映画祭みたいでかっこいい。
と、どうでもいいことを考えながら今回も西宮ガーデンズを拠点に映画を観まくるつもりだ。
正月映画とかぶってるというのがなんとも気が乗らないが(ろくな映画がない)まあ仕方ない。
今回も頑張ります!
iPhoneのメモの中にこんな3行の文字が↓

~~~~~~~~~~
カイト
アノマリー
アンリミテッド
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まったく覚えがない!
┐('~`;)┌ 
いったいこの3つの単語はなんなのだろうか?
謎だ
謎過ぎる