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◆◆ ロイの書斎 ◆◆

頭に浮かんだことをエッセイ風に書き綴っています

映画の続編というのはなかなか成功しないが、続編どころかこれまで23作品製作し、50年以上続いているシリーズがある。
言わずと知れた007シリーズだ。

24作目「007/スペクター」は007好きで映画通の友人(中学校の同級生で以下007友)と一緒に鑑賞し、その後大いに語りあった。

本作は前作「007/スカイフォール」の続きであり、6代目ダニエル・クレイグがボンドになってからこれで4作品目。4つ全体が時系列で繋がっていて、新生ボンドの世界観を作り上げている。

殉職した前任者Mの遺言に従い、テロリストを暗殺したボンドは、その男が国際的な犯罪組織の一員であることを突き止め、ローマでの秘密会議に潜入したが、その頂点に君臨する男、オーベルハウザーにすぐさま正体を暴かれ何も掴めないままその場を辛くも脱出する。

一方ロンドンではMI6が消滅の危機に瀕していた。
諜報界で力を持ち始めたMI5の長官CがMI6を吸収し、00セクションを時代遅れの遺物として葬り去ろうとしていたのだ。

ローマでの失敗の後、謎の組織の追跡を再開したボンドは、秘密を握る宿敵Mr.ホワイトの行方を突き止めるが、ホワイトはオーベルハウザーに毒物を盛られ瀕死の重傷だった。
組織の秘密と引き換えに娘のマドレーヌを守ることを約束したボンドは、誘拐されそうになったマドレーヌを助けたことで彼女から組織の名前を聞くことになる。
その名は“スペクター”
ボンドはやがて文字通り遠い過去の亡霊(スペクター)と対峙することになる。

ガンバレルシークエンス→オープニング→主題曲+セクシーなタイトルデザイン→本編という従来の構成にやっと戻ったグレイグ版ボンドだが、今回ストーリーが込み入っているせいか150分の長尺となった。
CGなしの本物のアクションや往年のシリーズへのオマージュも楽しめ、長さは感じなかったが、やはりアクション物はもっとタイトな編集がいい。

タイトルの「スペクター」は、「カジノロワイヤル」同様法廷闘争によりやっと手に入れた権利で、イオンプロの虎の子だったが、まさかタイトルにするとは思わなかった。
CIAのフェリックス・レイター、ワルサーPPK、Q、マネペニーと作品ごとに次々と馴染みのアイテムやキャラクターを蘇らせ、ついに亡霊の復活にまで行き着いた(ちなみに007のスペクターとは本当は犯罪組織の長~い名前の略称)。
これでリブートもコンプリートした感があるが、今回はイアン・フレミング(原作者)もびっくりのとんでもない衝撃の真実がおまけでついてきた。
これは「スターウォーズ」のルークとダースベーダーの関係にも迫る衝撃度だったが、ちょっと伏線でヒントを与えすぎていたため予想はついてしまう。
とはいえボスの名前や服装のデザイン、あの有名なふわふわ高級ペットなど長年のファンも満足させる配慮がしてあった。

グレイグ版ボンドはこれまで触れられることのなかったボンド自身のパーソナルな部分を新たに創り出し「新生007の誕生」を印象付けた。
この大きなテーマの総括が今回のスペクターとの対決であり、かなり強引ではあったが、それなりに成功したように思える。

しかし、前述の007友とも話したが、ユーモアのセンスやお約束事などまだちょっと007らしさが足りない気がする。
挙げるときりがないが、誰も書いてなさそうなことを一つ書くと、ボンドガールであるレア・セドゥの役名がマドレーヌ・スワンなんて007ではありえない(Mr.ホワイトは本名のスワンから付けたのか?)。
マドレーヌとスワンと言えばすぐに想起するのはフランス文学の名作プルーストの「失われた時を求めて」だろう。
冒頭で主人公はマドレーヌを食べて昔スワン家の方へ散歩したことなどを思い出す。
しかし「ハニー・ライダー」のように英語圏のレディーなら顔を赤らめるような名前を思いつくイアン・フレミングがこんな高尚な引用をするはずがないのだ。

また、いくつか気になるところがある。
ネタバレになるが、ボンドはどうやらMI6をやめたようなのだ。
映画のラスト、マドレーヌとともに「ゴールドフィンガー」で使ったボンドカーに乗っていくシーンは「女王陛下の007」のラストを思い出す。
もしそれを踏襲するなら次回作はここから始まるはずだ。
車に乗った2人をスペクターの一味が襲い、ボンドは生き残ってマドレーヌが死ねば「女王陛下の007」のラストにそっくりなシーンが出来上がり。
ブロ○○ルドは逮捕された後すぐに脱走、この計画を指示していたことにすれば、復讐に燃えるボンドはブロ○○ルドを追ってなんと日本へ…
そう、こうすれば
結構原作に近い「007は二度死ぬ」になるのだが。
もし実現すれば浜美枝以来の日本人ボンドガールを誰にするかで大騒ぎになるのは必至だが、その時は頼むからもう忍者は出さないでほしい。
もちろん姫路城は出入り禁止だ(「007は二度死ぬ」で城壁に傷をつけたため、以後姫路城は映画ロケ禁止)。
今日知り合いの家に行ったら、仏具店の人からもらったというこんな貼り紙を見た。

朝は希望に起き、
昼は努力に生き、
夜は感謝に眠る

おぉ、これどこかで見たのは間違いないのだが、どうしても思い出せない。
(-_-;う~ん

とても気になる。
小学校か中学校かで見た気が…
そしてこの言葉、出典はなんなのか?
誰の言葉なのだろう?
{10A51FC5-BC3C-4302-9E3B-2478C94BAFBC:01}

「iPhoneは音悪いよ」と言われながらもオーディオプレイヤーを持ち歩くのは面倒なので、音楽はiPhoneにダウンロードして聴いている。

音楽サイトで検索していると、思わぬカバー曲をみつけることができるのも楽しい。
例えば「華麗なる賭け」のリメイク「トーマス・クラウン・アフェアー」(これがオリジナルの原題)のエンディングではあのミッシェル・ルグランの名曲「Windmills of your Mind」(風のささやき)がスティングでカバーされているが、これがシャンソン風のオリジナルより気に入ってしまい、こちらをダウンロードしたりとかいうこともある。

そんなこんなではまってしまい、気がつけばかなりの曲が保存されていたのだが、中身を見るとこれがまぁほとんど80年代(正確には70~90年代)の洋楽、映画音楽、イージーリスニングだった。

そうか
結局行き着く先はここなのか
音楽の趣味は、FMをエアチェック(もう死語なんで若い人はわからないだろうが)していた10代の頃からほとんど変わっておらず、21世紀のコミュニケーションツールも中身は80年代のままだった。
シンクロニシティはある日突然やってくる。

それはsomethingとanythingの違いについてすご~く気になっていた時のことである。
ネットで調べてみると、肯定文と否定文で使い分けるとかではなく、
「something」は語り手に何らかのイメージがある事柄であり、
「anything」は語り手にイメージのないものも含めて全てのもの何でもというニュアンスだと書いてあった。
例文も載っていて、一応理解したが、いまいちすっきりしない。

そんなある日、絶妙なタイミングで生きた英語が舞い込んできた。
それはベストセラー小説の映画化「チャイルド44」での一場面。

とその前に前置きが長くなるが少し映画の紹介を
ソ連国家保安省の捜査員である主人公は、友人の子供の死をきっかけにやがて44人の児童を殺害した連続殺人犯を追うことになる。
実際に起きた事件を基にしたもので、スターリン政権下のソ連では殺人は民主主義社会の中でしか起きないとされていたため、真相に迫れば迫るほど逆に歪んだ社会システムに主人公が追い詰められていく…。

映画の冒頭、ある国家反逆者を追跡していた主人公はかくまった家族にこう言う。
「知ってることを話した方がいい」

「something(何かを)」
少し間を空けて
「anything(どんなことでも)」

納得!

つまり最初のsomethingは反逆者の行方に関すること、
後のanythingは直接関係ないことも含めて何でもと言う意味だろう。

すっきりしなかった使い分けを映画の台詞の一言で理解できた瞬間だった。
いつも1人の私にとってはとても珍しいことなのだが、映画好きの友人夫婦に誘われてドキュメンタリー映画「ボリショイ・バビロン」を鑑賞した。

この手のドキュメンタリーと言うと過酷なレッスンやありえないほどの厳しい指導に耐え、最後は素晴らしいパフォーマンスで幕を閉じる。という内容を誰もが想像するだろう。
しかし本作はそんなありきたりの作品ではない。

2013年、ボリショイバレエの元スターで芸術監督のセルゲイ・フィーリンが襲われ、顔に硫酸をかけられた。犯人として同じ団員のドミトリチェンコが逮捕される。
本作はボリショイを震撼させたこの事件を中心に約9ヶ月にわたるシーズン全期間を通じてその裏側で何が起こっているかを探っていく。

タッチは極めてクールな視点で、インタビューの内容もまったく遠慮がない。
新任の総裁ウーリンと襲撃された芸術監督フィーリンの根深い確執や関係者の本音もそのまま流れ、観ている側が戸惑うほどだ。日本人の監督ではここまで作れないのではないだろうか。

バレエをまったく知らない私には次々現れる登場人物に混乱し、前半は遅々としあまりテンポがよくなかったが、世界中が絶賛する芸術集団の表面的な素晴らしさの中に蠢く嫉妬、陰謀、はたまたクレムリンの介入という政治的思惑(メドヴェージェフ首相いわく「ボリショイは外国への秘密兵器だ」)、ダンサー達のしたたかな自己愛などが複雑に絡み合っていることはよくわかった。

タイトルの中のバビロンは言うまでもなくメソポタミアの古代都市であり、転じて富と悪徳の都という意味である。
登場人物はみな自分のテリトリーのことだけしか考えていないように見えるが、舞台の成功という一つの思いでがっしりと繋がっている。
だからこそ華美と悪意に満ちた都は、宿痾と美を共存させて奇跡の舞台を作り上げていけるのだろう。
その全てを取り込んでしまうブラックホールのような巨大さこそがボリショイなのだと感じた。
★その他★(22)
■予告犯
様々な社会的問題を取り扱っているのはわかるが、その手段が痛快さに欠け、共感できない。唯一言論の自由を奪おうとしていた政治家を社会的に抹殺したやり方だけが気に入った。

■マッド マックス
全編ほとんどカーアクションという大胆な構成。惜しみなくアイデアを注ぎ込み、作品の世界観を圧倒的な映像で作り上げていた。ただあまりにも濃密すぎてすべてを出し切っていない不足感は否めない。モブシーンは素晴らしいが、メインの登場人物の個別の活躍が目立たない。

■イニシエーションラブ
恋愛小説に叙述トリックを持ち込んだ原作はそのままでは映像化不可能。そこにもう一工夫して映像化した努力は認めるが、ストーリー自体は恐ろしく退屈で、種明かしされたらもう2度と観る気はしない。ラストの親切な時系列のまとめはなくてもよかったのではないだろうか。

■脳内ポイズンベリー
主人公の頭の中での感情の葛藤を擬人化した感情達の会議室での議論という形で表すというのは面白かったが、それぞれのキャラクターにもっとそれらしき個性があった方がよかったし、最初から最後まで会議室の中だけでクローズさせた徹底した作りの方が映画的な面白さがあったと思う。

■王妃の館
原作はもっと登場人物が多いとのことで、映画の枠に収まるよううまく人数や人間関係を整理していたように思う。しかし各人にある秘密らしきものは大したものではなく、また劇中劇のルイ14世の息子の話とそれほどシンクロしてこない。劇中の中途半端なミュージカル仕立ての歌は最悪。

■龍三と七人の子分たち
ところどころは笑えたが、殺人にまで至るとコメディーとしては笑えない。老いさらばえたヤクザ達の哀愁があまり感じられず、家族との関係の描き方も希薄。もっと各人の技を使ったアクションが見れたらよかったのだが。クライマックスのカーチェイスはもう少し短い方が締まる。

■寄生獣 後編
2本立てのクライマックスはカットバックをもっと有効に使って盛り上げるべきだった。寄生生物がどのように共存しようとしていたのかが説明不足。ラストのエピソードはミギーの存在を再び知るために必要だったと思われるが、あまりにも蛇足的な感じで緊張感が削がれ冗長だった。

■エイプリールフールズ
様々な嘘と人物が絡み合った群像劇コメディーは嘘つき達のカプリッチオ。だがただ笑って終わりではなく嘘の裏に相手への限りない優しさや愛があったりするところにほろっときたりする。だがもっとパズルのピースのように各エピソードがお互いにはまり合っていてほしかった。

■暗殺教室
地球を破壊しようとする宇宙人が落ちこぼれ組の担任となって、自分を暗殺するチャンスを与えるという奇抜なアイデアが面白い。型破りな先生が生徒と向き合い成長させる学園物だが、卒業までに暗殺しないと地球を破壊するという明確な目的があるのに最後まで描かれていないのにはがっくり

■風に立つライオン
紛争地域で心がささくれた子供達にとって必要なものは、体の治療とともに命の大切さや学ぶことの楽しさを知ることであり、救われた命がまた別の命を救うことで世界が絆で繋がっていく。そんな無償の愛の限りなさと現地の人を自立させてこそ本当の支援なのだと強く感じた。

■「アメリカンスナイパー」
まさかのラストに唖然。重いタッチで伝説となった兵士の苦悩を描いているが、彼は志願兵であり、戦場は敵地だけ。家族が襲われる心配はまったくなく、その気になればいつでも帰れる安全な場所がある。そんな彼をなんの躊躇もなく英雄視するアメリカ国民に違和感を感じた。

■味園ユニバース
歌も雰囲気もまあまあよかったのだが、イマイチ盛り上がりに欠けた。
主人公のキャラクタに奥行きがなかったせいで、記憶喪失から目覚めた後も不明な点が多く、何も解決せぬままストーリーが進み、主人公に感情移入できないままラストのステージでに突入したので高揚感もなかった。

■フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ
ずばり「ナインハーフ」の現代版。アブノーマルな性行為を契約書を交わしてから行おうとするところは「毛皮のヴィーナス」の逆バージョンか。主人公がなぜそんな性癖になったのかや、次第に芽生えてきた人を愛する気持ちへの戸惑いなどがもっときめ細やかに描かれていないとただの中途半端なソフトポルノでしかない。

■「ジョーカーゲーム」
徹底的に芝居がかった演出が潔すぎて突き抜けた面白さがあり、次々と襲いかかる絶体絶命のピンチをありえない展開で切り抜けていく。
オープニングから「ミッションインポッシブル」を意識した作りで、女スパイの深田恭子がケレン味に華を添え、峰不二子みたいな悪女ぶりが最高

■「フォックスキャッチャー」
友達でさえも金で手に入れていた孤独な大富豪は、心が触れ合うチャンスさえもなかったのだろうか。母親に認めてもらうことに固執するあまり結局は金でしか人を支配できないでいたことに最後まで気づかずに凶行に走る悲惨な末路にやるせなさを感じた。

■ミュータントタートルズ
VFXの進化によりアニメキャラクタを違和感なく表現していた。アクションも躍動感があり、スピーディー過ぎて何をやっているかわからないほどのカーチェイスシーンはまさにマイケル・ベイの真骨頂。監督していなくても効果音の使い方までどっぷりマイケル・ベイだった。底は浅いが気軽に楽しめる。

■アニー
ブラックスプロイテーション的なキャスティングでドラマ部分は原形をとどめないぐらいに現代風にアレンジされているが、周りをたちどころにハッピーにする明るさと元気を持ったアニーのキャラクタはとても魅力的だ。大富豪とアニーが次第に心を通わせていくくだりは胸に迫ってくるものがある。

■エクソダス
聖書に基づいたストーリーでありながらも長年監督がこだわり続けた2人の男の対決が強調されたオリジナリティーな解釈が光る。スペクタクルな映像と大規模なモブシーンは往年の大作映画の風貌を湛え、圧倒的な力で迫ってくるが、惜しむらくは一騎打ちの闘いが見たかった。

■サイコパス
システムによる管理社会をディストピアではなく表面的に快適な世界として描いているところに新規性がある。作品世界の説明不足は気に入らないが、アクションは本格的で迫力があり、エンドロール後のラストの一言は、正しい世界とは何かという普遍的な真理への奥深い問いかけを感じた。

■ST 赤と白の捜査ファイル
キャラクタの確立した面白さはあったが、映画だけ観た人には説明不足。オープニングで能力を紹介する気遣いがほしかった。
事件は人質とサイバーテロを組み合わせたところに一工夫あったが、STならではの捜査方法は特に見受けられず、真犯人の一捻りというのもなかった。

■96時間
何をやっても死なないミルズはまごうことなくリュック・ベッソン版「ボーン」+「ダイハード」。
少ない手がかりを基にどんどん犯人を追い詰めていくが、その早いテンポにご都合主義な展開を考える暇を与えず突き進む。悪党ならいくら殺しても無罪放免なんていくらなんでもありえない。

■シン・シティ
前作同様グラフィックノベルをそのまま実写化したような斬新な映像で、飛び散る肉片や血しぶきもモノクロチックなこの映像だからこそスタイリッシュに見える。
各エピソードと登場人物が微妙に繋がりを持つオムニバス形式のストーリーも徹底的にハードボイルドで大人向けの仕上がり。
2015年前半に観た映画は34本と、いつもの2/3ぐらいだった。これはまずい。
もしかしたら1カ月無料鑑賞の特典が得られない可能性がある。
という個人的な危機感はさておき、以下「良品」「不良品」「その他」に分けて総括してみた。
part1では良品と不良品を紹介するが、もちろん独断と偏見に満ちたレビューであることをお忘れなく。

★良品★(11)
■海街diary
3姉妹と腹違いの妹との絆が深まっていく様子がとても自然だった。
亡くなった人の事を思いながら成長していく姿が象徴的で、それぞれそばにいる人々との触れ合いが丁寧に描かれていた。なんでもない日常しか映していないのに4人の姉妹をいつまでも観ていたくなるのは女優陣の魅力のなせる技。
また自由奔放なキャラクタ設定なのいいことに露骨な長澤まさみの脚フェチサービスショットを噴出させた監督に他人とは思えないほど共感した。

■小さな世界はワンダーランド
野生の小動物達の日々の生活がいかに危険に満ちた世界なのかをまざまざと見せつけられ、ただただ驚愕映像に圧倒されっぱなしだった。
最新のハイスピードカメラで捉えたリスの格闘シーンは、世界初の映像だそうだが、その重力を無視した超時空アクションは「マトリックス」を超えていた。

■Duran Duran Unstaged
デビッド・リンチ監督のデュラン・デュランのライブなど誰が想像しただろう。
常人には理解できないインサート映像のメタファーは実にリンチらしく、ライブというよりリンチワールドの主題歌をデュラン・デュランが歌っているかのようだった。リンチの映像はシュールな詩と意外なマッチングを見せ、クセが強過ぎて頭から離れない強烈さ

■バードマン
長回し風のシームレスな映像の奇抜さが秀逸。主人公は最後まで妄想と現実のカオスから解き放たれることなく、妄想が現実を凌駕することで新しい自分へと生まれ変わり、観客の予想を心地よく裏切る。舞台の成功が不安定な精神と妄想のシンクロであったのもシニカルな笑いを誘う。

■セッション
生まれて初めてバンドのレッスンが格闘技に見えた。監督自身の体験を基にした主人公の追い詰められていく精神的な圧迫、恐怖はもやは音楽映画の域を超えたサスペンスであり時にホラーとさえ感じる凄まじさだ。歯切れのいい絶妙なラストカットが見事!
久しぶりに観ないと損すると感じた作品。

■ソロモンの偽証 前編
プロットが秀逸。
真実を隠すことが逆に子供を傷つけていることを知ろうとしない保身に走る教師達が実に腹立たしかったが、その反面どんなに傷ついても真実を知りたいと願う主人公の凜としたまっすぐな目がとても印象的で、後編の裁判劇でどんな真実が暴かれるのか期待せずにはいられない。

■ソロモンの偽証 後編
裁判劇は、原作をかなりはしょったと思われるが、多くの登場人物を短いショットでうまく際立たせていた。
ただ、被害者の少年の心理状態がイマイチ深掘りされていない気がしたのが残念だった。心の声に蓋をすると人は見たいものしか見えなくなるという台詞が印象的。

■繕い裁つ人
世界にたった一つしかない自分だけの服を手にしたい。映画を観終わった後自然にそんな想いが湧いてきた。
主人公の仕立て屋としてのこだわりはあまりにもストイックすぎたが、いつしか芽生えてきた新しいものを作りたいという思いがじっくりと一流職人の手縫いのような丁寧さで伝わってくる。

■アゲイン 28年目の甲子園
全力で負けてこそ前に進んでいけるという本作のテーマが、夢を諦めきれない元高校球児達の熱い想いとともに伝わってくる。
父と娘の絆の修復や長い年月の誤解が解ける瞬間は、予定調和とわかっていながらも胸に熱いものがこみ上げた。
遺品に隠された小さな秘密は、メガトン級の泣所。

■トラッシュ!
スラム街を逃げ回る子供達のアクションは、パルクール顔負けのしなやかさとスピード感があり、財布に隠された謎はミステリとトレジャーハンティングの面白さで物語を牽引する。
貧困の中でもたくましく生きる子供達のラストの行動に爽快なカタルシスを感じ、身の丈にあった幸せを手に入れた彼らに心の中で拍手を送った。

■進撃の巨人[前編]
テレビシリーズのエピソードをまとめたものであるが、シンプルなストーリーであることも幸いし、ダイジェストを観たような印象ではなくうまくまとまっていた。
架空の城壁都市の緻密な世界観と立体起動装置による躍動感のあるアクションは最高!

★不良品★(1)
■アップルシード アルファ
凄腕の女性兵士のはずの主人公が急にナイーブ過ぎる面を見せたりとキャラにぶれがあって違和感を感じた。
何をやっても死なない不死身過ぎるギャングのボスだけが敵か味方かわからなくて面白かったが、画像もアクションもストーリーもRPG風でどこからか借りてきたような雰囲気だった。

★その他★(22)
■予告犯
様々な社会的問題を取り扱っているのはわかるが、その手段が痛快さに欠け、共感できない。唯一言論の自由を奪おうとしていた政治家を社会的に抹殺したやり方だけが気に入った。
■マッド マックス
全編ほとんどカーアクションという大胆な構成。惜しみなくアイデアを注ぎ込み、作品の世界観を圧倒的な映像で作り上げていた。ただあまりにも濃密すぎてすべてを出し切っていない不足感は否めない。モブシーンは素晴らしいが、メインの登場人物の個別の活躍が目立たない。
■イニシエーションラブ
恋愛小説に叙述トリックを持ち込んだ原作はそのままでは映像化不可能。そこにもう一工夫して映像化した努力は認めるが、ストーリー自体は恐ろしく退屈で、種明かしされたらもう2度と観る気はしない。ラストの親切な時系列のまとめはなくてもよかったのではないだろうか。
■脳内ポイズンベリー
主人公の頭の中での感情の葛藤を擬人化した感情の会議室での議論という形で表すというのは面白かったが、それぞれのキャラクターにもっとそれらしき個性があった方がよかったし、最初から最後まで会議室の中だけでクローズさせた徹底した作りの方が映画的な面白さがあったと思う
■王妃の館
原作はもっと登場人物が多いとのことで、映画の枠に収まるよううまく人数や人間関係を整理していたように思う。しかし各人にある秘密らしきものは大したものではなく、また劇中劇のルイ14世の息子の話とそれほどシンクロしてこない。劇中の中途半端なミュージカル仕立ての歌は最悪。
■龍三と七人の子分たち
ところどころは笑えたが、殺人にまで至るとコメディーとしてはNG。老いさらばえたヤクザ達の哀愁があまり感じられず、家族との関係の描き方も希薄。もっと各人の技を使ったアクションが見れたらよかったのだが。クライマックスのカーチェイスはもう少し短い方が締まる。
■寄生獣 後編
2本立てのクライマックスはカットバックをもっと有効に使って盛り上げるべきだった。寄生生物がどのように共存しようとしていたのかが説明不足。ラストのエピソードはミギーの存在を再び知るために必要だったと思われるが、あまりにも蛇足的な感じで緊張感が削がれ冗長だった。
■エイプリールフールズ
様々な嘘と人物が絡み合った群像劇コメディーは嘘つき達のカプリッチオ。だがただ笑って終わりではなく嘘の裏に相手への限りない優しさや愛があったりするところにほろっときたりする。だがもっとパズルのピースのように各エピソードがお互いにはまり合っていてほしかった。
■暗殺教室
地球を破壊しようとする宇宙人が落ちこぼれ組の担任となって、自分を暗殺するチャンスを与えるという奇抜なアイデアが面白い、型破りな先生が生徒と向き合い成長させる学園物。だが、卒業までに暗殺しないと地球を破壊するという明確な目的があるのに最後まで描かれていないのにはがっくり
■風に立つライオン
紛争地域で心がささくれた子供達にとって必要なものは、体の治療とともに命の大切さや学ぶことの楽しさを知ることであり、救われた命がまた別の命を救うことで世界が絆で繋がっていく。そんな無償の愛の限りなさと現地の人を自立させてこそ本当の支援なのだと強く感じた。
■「アメリカンスナイパー」
まさかのラストに唖然。重いタッチで伝説となった兵士の苦悩を描いているが、彼は志願兵であり、戦場は敵地だけ。家族が襲われる心配はまったくなく、その気になればいつでも帰れる安全な場所がある。そんな彼をなんの躊躇もなく英雄視するアメリカ国民に違和感を感じた。
■味園ユニバース
歌も雰囲気もまあまあよかったのだが、イマイチ盛り上がりに欠けた。
主人公のキャラクタに奥行きがなかったせいで、記憶喪失から目覚めた後も不明な点が多く、何も解決せぬままストーリーが進み、主人公に感情移入できないままラストのステージでに突入したので高揚感もなかった。
■フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ
「ナインハーフ」の現代版みたいな話で、アブノーマルな性行為を契約書を交わしてから行おうとするところは「毛皮のヴィーナス」の逆バージョンか。主人公がなぜそんな性癖になってのかや、次第に芽生えてきた人を愛する気持ちへの戸惑いなどがもっときめ細やかに描かれていないとただの中途半端なソフトポルノでしかない。
■「ジョーカーゲーム」
徹底的に芝居がかった演出が潔すぎて突き抜けた面白さ。
次々と襲いかかる絶体絶命のピンチをありえない展開で切り抜けていく。
オープニングから「ミッションインポッシブル」を意識した作りで、女スパイの深田恭子がケレン味に華を添え、峰不二子みたいな悪女ぶりが最高
■「フォックスキャッチャー」
友達でさえも金で手に入れていた孤独な大富豪は、心が触れ合うチャンスさえもなかったのだろうか。母親に認めてもらうことに固執するあまり結局は金でしか人を支配できないでいたことに最後まで気づかずに凶行に走る悲惨な末路にやるせなさを感じた。
■ミュータントタートルズ
VFXの進化によりアニメキャラクタを違和感なく表現していた。アクションも躍動感があり、スピーディー過ぎて何をやっているかわからないほどのカーチェイスシーンはまさにベイ・ヘムで、監督していなくても効果音の使い方までどっぷりマイケル・ベイ。そこは浅いが気軽に楽しめる作品ではある。
■アニー
ブラックスプロイテーション的なキャスティングでドラマ部分は原形を止めないぐらいに現代風にアレンジされているが、周りをたちどころにハッピーにする明るさと元気を持ったアニーのキャラクタはとても魅力的だ。大富豪とアニーが次第に心を通わせていくくだりは胸に迫ってくるものがある。
■エクソダス
聖書に基づいたストーリーでありながらも長年監督がこだわり続けた2人の男の対決が強調されたオリジナリティーな解釈が光る。スペクタクルな映像と大規模なモブシーンは往年の大作映画の風貌を湛え、圧倒的な力で迫ってくるが、惜しむらくは一騎打ちの闘いが見たかった。
■サイコパス
システムによる管理社会をディストピアではなく表面的に快適な世界として描いているところに新規性がある。作品世界の説明不足は気に入らないが、アクションは本格的で迫力があり、エンドロール後のラストの一言は、正しい世界とは何かという普遍的な真理への奥深い問いかけを感じた。
■ST 赤と白の捜査ファイル
キャラクタの確立した面白さはあったが、映画だけ観た人には説明不足。オープニングで能力を紹介する気遣いがほしかった。
事件は人質とサイバーテロを組み合わせたところに一工夫あったが、STならではの捜査方法は特に見受けられず、真犯人の一捻りというのもなかった。
■96時間
何をやっても死なないミルズはまごうことなくリュック・ベッソン版「ボーン」+「ダイハード」。
少ない手がかりを基にどんどん犯人を追い詰めていくが、その早いテンポにご都合主義な展開を考える暇を与えず突き進む。悪党ならいくら殺しても無罪放免なんていくらなんでもありえない。
■シン・シティ
前作同様グラフィックノベルをそのまま実写化したような斬新な映像で、飛び散る肉片や血しぶきもモノクロチックなこの映像だからこそスタイリッシュに見える。
各エピソードと登場人物が微妙に繋がりを持つオムニバス形式のストーリーも徹底的にハードボイルドで大人向けの仕上がり。
ミステリ小説には文章上の仕掛けによって想像をあらぬ方向に向けさせる「叙述トリック」というのがある。
作家が手練手管の限りを尽くして読者に間違った思い込みをさせるものであり、思い込みが大きいほど真実がわかった時の衝撃も大きいのだが、何度も読むうちに段々と鼻についてきた。
なんと言えばいいのか、つまり真相がわかったところでその小賢しさに「えぇ、その書き方は反則やろ~」と思う方が多く、一向にすっきりしない。
なんらかの事実をいかに巧妙に隠しながら表現するかがこのトリックのポイントなのはわかるが、いくら作為的とはいえ勘違いさせるというのは本来書き方が悪い文章なわけで、後で読み返すと多かれ少なかれいびつな表現になっている。
というわけで、ミステリ作家のみなさん。これを全否定するわけではないが、そろそろこのトリックの多用はやめませんか。
そう思う今日この頃なのである。
そこで
┗(`o´)┓よし!
こうなったら今まで知り得たトリックを全部列挙してやろうと考えた。
もうこんな小手先のトリックはやめてもっとレベルの高いトリックを考えてほしい。そう切に願うからである。
というわけで以下に私がミステリを読む時、思い浮かべている叙述トリックを紹介する次第である。

1.ストーリーの語り手が犯人
・これはかなりアンフェアで悪質だ。
つまり自分が犯人なのがわかっているのに知らないふりをしながら語っているのだから。
アガサ・クリスティーの有名な作品で使われ論争になったことも。
変形版として、犯人が途中から被害者になりすましている例もある。
人称を変えるなどなんらかの変化をつけていることもあるので、文章に違和感を感じたら要注意。

2.時間軸
・複数の時間軸が混在したトリック。
さも同じ時に起こったように描きながら実は違う時間の流れがいくつか存在している。
あるいは連続した時間軸なのに違う時間軸のように見せかける。
日付や時間が頻繁に出てくる作品には気をつけよう。

3.名前に関するトリック
・同性同名の別人を同一人物のように扱ったり、同じ人物に複数呼び名があるなど。
あだ名とかにも注意しよう。同じあだ名で複数の人物がいる場合もある。
苗字が同じ親や兄弟を本人と勘違いさせることもある。
あるいは「ひろみ」のように男女どちらでも成立する名前を使い読者に性別を誤認させることも。
また、これはまだお目にかかったことはないが、「ナオミ」なら国籍を勘違いさせることも可能だろう。

4.別人格
1人の人間の中に別人格が存在し、自分がやっておきながら他人がやったかのように書かれている多重人格のパターン。古くは「ジキルとハイド」にまで遡る。1人しかいないのに相手と対峙しているかのような書き方をしてる場合もある。
ある人物がいつも唐突に都合よすぎるタイミングで登場する場合このケースが多い。

5.妄想、夢
異常な妄想癖がある人物が真実ではないことを描写するパターン。
あるいはすべて夢だったとか。
こういう輩は日頃からちょっと変な奴のように描かれている場合が多い。

6.別の場所に同一人物
なんらかの方法で複数の場所に同一人物が登場するが、それを同じ人物だとわからないように書かれている。

7.年齢、性別の勘違い
大人だと思ったら子供。
若者だと思ったら老人というパターンや曖昧な書き方で性別を誤魔化す。
後で読み返すとたいがいどこかで無理が生じて破綻している。
なんとなく散らかった雰囲気の我が家を抜本的に改革しようと思ったきっかけは、居間に置いていた大きなテレビ台付きの棚を捨てた時だった。
使いづらく無駄にスペースを取っていたので、捨ててすっきり!
だが隣りの部屋を見ると、ここはもっと散らかり放題で、引越し前夜のよう。
衣替えの途中で出しっぱなしの押入れ収納ケース、PC机の下に置かれた細々した小物、本棚の中にある要るのか要らないのかよくわからない書類、なんといっても邪魔なのは床置きした溢れんばかりの映画のパンフレット。
┗(`o´)┓よし!
捨てるか
と思い切ると、不要な物が出てくる、出てくる。
最後には映画のパンフレットにも手をつけ、泣きの涙でどうしてもいる物以外は捨てた。
今度生まれ変わったらパンフレットを置く専用の部屋を持てるような大金持ちになろう
そう心に誓って
捨てることで部屋にスペースはできたが、中に入れていた小物をどうにかしないと散らかったままだ。
そこで新しく3段ボックスを3つ買ってきて、それにぴったり合う籐製の引き出しボックスを買った。
するとどうだろう
なんと美しい!
それから押入れ収納ケースを元の場所にしまい、部屋を仕切る引き戸近くに鎮座した邪魔なドレッサーを移動、洋服ダンスの扉を外して開放感丸出しのクローゼットにし…となんやかんやしてると信じられないほどすっきりしてきた。
この状態を維持しよう
以下にこのようなルールを設ける。

■着ない服はすぐ処分
■使ったら元に戻す
■床や椅子の上に物を置かない
■映画のパンフレットは5つのA4収納ボックスに収まるように整理
■映画秘宝は10冊以上溜めない
■本棚に入らなくなった本はブックオフへ

捨てる喜びを味わい、今やすっかり断捨離ズムに浸っている。
さてさて、いつまで続くやら


すっかり腑抜けになったとの噂もあったデビッド・リンチの久しぶりの監督作は「Duran Duran Unstaged」。
なんとあの往年の人気ロックバンド デュラン・デュランのライブの演出だった。

アメリカン・エキスプレス主催のオンラインコンサート「Unstaged」シリーズはいままで様々なアーティストと監督のコラボを企画してきたが、今回は80年代に活躍したニューロマンチック派ブリティッシュロックとカルト映画の鬼才という奇抜な組合せだった。

これはなかなか面白いときっとフロントマンのサイモン・ル・ボンも嬉々として取り組んだに違いない。
ちなみに知らない人のために書いておくと、バンド名の「デュラン・デュラン」とは思春期男子必見のお色気SF映画「バーバレラ」に出てくるマッドサイエンティストの名前から取ったものだ。

アンコールも含めて全19曲の熱唱を聴いていると途中でどんどん興奮してきて、「Notorious」や「Hungry Like The Wolf」や「RIO」など昔歌詞を覚えた曲は思わず一緒に歌っていた(もちろん声は出さずにだが)。
どうでもいい話だが、「Hungry Like The Wolf」は、カラオケで歌って100点を取ったことがある(と、ここでまさかのプチ自慢)。

ルックスの良さを誇ったかつてのメンバーも寄る年波には勝てない。
サイモン・ル・ボンは小太り気味の体に「スタートレックTNG」のライカー副長のような髭を生やし、ドラムのロジャー・テイラーは別人のように老朽化、ニック・ローズもデビッド・シルビアンというより、小室哲哉と見間違える(デビッド・シルビアンも今はいいおじさんかもしれないが)。ベースのジョン・テイラーもえらくおでこが後退しているではないか(他人事ではないが)。
しかし、歌は相変わらずクールだ。今回のアルバムの曲も昔と曲調がほとんどかわらないのに驚いた。
画面はライブ映像とは到底思えない凝った作りで、ほとんどがリンチのイメージ映像がオーバーラップしたりディゾルブしている。
メンバーはモノクロ、イメージ映像がフルカラーというコントラストがただならぬ雰囲気を醸し出していた。
このイメージ映像というのが、実にリンチらしいメタファーに満ちたシュールなオブジェの塊で、デュラン・デュランのイニシャルの「D」の文字(2つでD Dとなる)で胸を隠して踊るトップレスの少女の人形や動物の指人形、回転する自転車のスポーク、スプーンを持った写真、不気味な仮面やただただ釘を打ち続けたり、ウインナーを焼いている網を叩いてバウンドさせる画面(食べ物で遊ぶな!)等々。
「こんなわけのわからない映像、全部カットしてデュラン・デュランだけ映せ」と思うデュラン・デュランファンも100万人ぐらいいるかもしれないが、マニアックなリンチファン(リンチファンでマニアックじゃない人などいないかもしれないが)なら「はい、はい。リンチぽいね」とうなずきながらリンチ作品の主題歌をデュラン・デュランが歌っているかのようで面白く観れたのではないだろうか。

アンコールでまた驚かされた。
最新アルバムのプロデューサーのマーク・ロンソンが再構築したとサイモンが紹介して始まったストリングスの静かな伴奏は、まごうことなく007シリーズ3作目の「ゴールドフィンガー」だった。
おっとこれはデュラン・デュランが歌った「007 美しき獲物たち」の主題歌「A View to a Kill」への伏線かと思いながら聞いていると、続いて「007 ダイヤモンドは永遠に」に変わり、日本が舞台になった「007は二度死ぬ」へと繋がる。さらに「ジェームズボンドのテーマ」が入ったところでようやく「A View to a Kill」。
しかし、なんともゆったりしたバラード調なのだ。
だが2番で一気にポップなオリジナルの曲調に変わって歌い上げ、歓声に包まれながらサイモン・ル・ボンはこう言った。
「この曲をジョン・バリーに捧げる」
そうか、なるほど
このライブは後で調べてみると、2011年の3月に行われたのだが、この2ヶ月前に007シリーズの音楽をずっと担当してきた巨匠ジョン・バリーが亡くなったのだ。
最初に書いたようにサイモンは相当な映画好きだと想像する。007の主題歌を歌うことになったのもパーティーで会ったブロッコリ氏に直接「007映画はいつも面白いが、主題歌がイマイチだね」と猛アピールして夢が叶った。
主題歌を歌ったのがきっかけで、この映画音楽の巨匠と触れ合う機会があったのではないだろうか。
真相はまったくわからないのだが、この一言は偉大な先達へのリスペクトに溢れていたように感じた。
「Girls on Film」でマッドサイエンティストの饗宴は終わりを告げる。
サイモンがみんなをステージに呼び寄せた。
「もう一人ここに呼びたい人がいる。デビッド・リンチはいるかい?ここにきてほしいんだけど」
だがリンチは来なかった。
リンチファンはここでもニヤリとしただろう。
「イレイザーヘッド」の主人公そっくりなボサボサ頭のオタクオヤジにこんな華やかな舞台は似合わない。
「さては逃げたな」とサイモンも笑いながら諦め顔だった。