私のMMAのキャリアの物語その2 | Roxyのブログ

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英語の教師、プロ格闘技選手、アニメオタク、元気なアメリカ人

そして日本の国際キリスト教大学に留学した。9月クロスポイント吉祥寺の道場に入った!高谷先生と植松先生の指導を受けさせていただいた。


私は始めから高谷先生に「私はいつか総合格闘技のプロ試合をやりたいです!」と言っていた。最初の一ヶ月が終わったところで高谷先生は「11月のスマックガールの大会に出てみたい?相手を見つけたよ」と言った。


私は「えっ?もう?大丈夫ですか?私はもうそのレベルで?」と聞いたけど、大丈夫だと言われた。


そして篠原ひかる選手と試合をして腕十字で勝った!

私の打撃の技術はひどいかったけど。


日本に居る間にもう三回試合をして勝てた。


その三回目の試合の後で、よく考えた。自分と話し合いをした。「ロクサン、私はプロ選手としていきたい。」「でもロクサン、試合で稼ぐお金が少なくて生活だ出来ないでしょう。どうしよう?」「じゃあ大学を卒業して、サラリーが高い仕事を見つけて、練習をつづけて試合をするか?」「日本語の通訳者がいいな。いっぱいお金を稼げるはず!」「そうしよう。UFCの最初の女子選手になるぞ!頑張ろう!」と考えようと思った。

 

そう決めてから、両親にMMAをやったことを教えた。www私はもちろん両親は反対すると分かっていたから、心の覚悟が出来たら教えると思った。正解だった! (笑)

アメリカに戻って、卒業して、ベルリッツで雇われた。日本に引っ越して仕事をしながら練習も試合もした。


結構勝った!チャンピオンシップを二つ勝った。沖縄、イギリス、アメリカでも試合した。

 


そして2010年ぐらい負けて負けて連敗してしまった。

私の問題はなんだろうと思って直そうとした。やっぱり打撃が下手だから、打撃を教えてくれる先生を見つけたり、道場を変えたり、階級を変えたり、いろいろ試してみた。でもなんだか勝てなくなった。チームを変えるのとはとてもとてもとてもつらかった。仲間は大事な人だから。


アメリカ人の友達みんなは「ロクサン、アメリカで練習しに来いよ!昔と違うからアメリカの方がいい!」と言っていたけど、私は日本と日本のチームが大好きだった。原発の悲劇があっても私はアメリカに戻らなかった。「帰る」とも言いたくなかった。もう日本は帰る場所だと思っていた。

 

私の心の中で、何かを直したら勝てると思った。私は可能性が高いと思った。でもその「何か」はなんだろう?


5連敗になった!そしてジ・アルティメット・ファイター シーズン18が発表された!女性も参加できるって!私はトライアウトして選ばれた!

エントリーの試合に勝った!

キャリアが逆転した!やっぱりアメリカの練習の方法と、それより英語で説明できるコーチが居たからよく分かった。


残念ながらアルティメット・ファイターの試合は負けたけど、練習への考え方が変わった。

やっぱりラスベガスに居ないとキャリアが終わると思った。体も痛い。腰、肩、首、怪我だらけだった。整体の三原さんのうまい治療で何とかなったけど、やっぱりだめだった。TUFの時に整体の先生は治療をしたら楽になった!すごかった!

でも、仲間達にそれが言いにくい。日本のチームに悪いからと思ったけど、真実だ。英語が喋るコーチとマンツーマンのレッスンが必要た。それとお母さんはとても一人ぼっちで寂しいことはうそではない。私は英語教師の仕事を突然やめてラスベガスにひっこした!お母さんはマサチューセッツからラスベガスに引っ越した! 

 

つづき