私のMMAのキャリアの物語その1 | Roxyのブログ

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英語の教師、プロ格闘技選手、アニメオタク、元気なアメリカ人


さっき、英語のブログで長い記事を書いた。

 

格闘技のキャリアーの物語だね。

 

私は子供の頃、テレビ番組のスーパー戦隊シリーズとドラゴンボールZのヒーローを見て、武道をやってみたいと思った。私も強くなって悪い人をぶっ飛ばして他の人を助けたいと思った。

13歳の頃テコンドーを始めた。とても楽しかった!私はかっこいいと思った!^^ 私は一年半練習をした。でも選んだ道場は突然色んな募金活動を始めた。先生は「近所の人々の家に行って、ピザを売ってみろ」と言われた。私は子供でもそれが間違っているのが分かっていた。道場は別につぶれそうじゃないから何で私がそれをやらなければならないの?修行をするためにお母さんはお金を払っていたから。

 

その道場をやめた。その代わりにアメリカン拳法空手をやってみた。とても楽しかった!自己防衛のスタイルというか、もしも悪い人が私を捕まえたら、どうするべきかのことだ。


一年以上練習した。それから家族がペンシルベニア州からマサチューセッツ州に引っ越した。両親は離婚した。お父さんは東の方でボストンに引っ越した。お母さんは西の方でレノクス市に引っ越した。距離は車かバスで三時間半がかかった。お母さんは私が武道を始めたい理由は離婚のせいで怒りと悲しみを感じたから戦いたいと思ったらしいけど、それは違うね。 ^^; 私の前でお父さんとお母さんはあまり喧嘩していなかったからそんなに悪くなかった。ありがたいね。

 

とりあえず、またテコンドーのジムに入ったけど、その先生は白帯からスタートをしなければならないと言っていた。えええ~。 まあ、いいか。何ヶ月やったけど、やっぱりつまらなかったなと思った。もう、テコンドーのジムのオーナーはみんなお金ばっかり考えているのか? 

-_-;;

 

その頃もう16歳になった。心の中で気持ちが変わった。もう暴力はだめだ、誰にもパンチやキックをしたくない。誰も殴らないと決めた。でもやっぱり他の戦う方法があるはずでしょう。。。。

 


ということで、柔道の道場に入った!


あああ、これだ!これがいいなと思っていた。めちゃくちゃ難しかったな。柔道の動きになれるのは何ヶ月間もかかったね。でもハリー先生は優しかった。優しいけど強くて厳しかった。彼の娘カリーちゃんは2年ぐらい年上だったし、柔道がとても上手だった。そして息子は私の2年下。皆が仲良くなって練習を楽しんで幸せな時期だった。

 

それからカリーはもうちょっとでオリンピックチームに入れたけど結局失敗した。何年も。でもとてもとてもうまかった!ジュニアオリンピックとか何とかのチームに入れたけど、詳しく忘れた。

 

私は三年間柔道を練習して、茶帯になった。試合にたくさん出た。

 

そして、高校を卒業した。私の先輩ジョンさんは「ロクサン、今は夏だから、バイトの休みの日にブラジリアン柔術のクラスをやってみ」と誘ってくれた。今のジョンさんと違うけどね。でも名前は同じだから面白いね。 


私は最初に興味がないと言っていたけど、試しに行ってみた。

 

柔術はいいね、柔道と似ているね!実は柔道の試合で腰の脊椎を怪我した。もうひねる動きとうけみが痛かったから、寝技中心の柔術はちょうどういい。

ジョンさんはUFCが大好きだった。何度も一緒にテレビでみた。最初は暴力がひどすぎてあまり見たくなかったけど、友達はすごく熱心に見た技を次の日練習したがっていた。私も一緒にやった。

 

その夏の二ヶ月ジョンさんと新しい柔術道場で練習し、そして秋が来たら大学に入って引っ越した。柔術の道場を探したら、学校のクラブを見つけた。皆は白帯ばっかりだった。大学三年生のBJJの先生ロブは「実はMMAのジムが近くにあるんだけど、あそこに行って見ない?」と言っていた。

 


私は行ってみた。ということで最初の総合格闘技ジムNew England Submission Academyに入った。コーチのキリクさんとデーブさんと皆で三年間練習した。

たくさんの柔術のトーナメントに参加した。UFCがあったら、仲間と一緒に見た。
そしてある日、トーナメントで試合した女の人ローラは総合の試合に出た。私はライブで見た。「私は彼女と戦ったことがあるよ!勝ったし。彼女がMMAを出来るなら私も出来るはずだ!」と思った。

 

MMAをやるのを決めた。
そして日本の国際キリスト教大学に留学した…

 

つづき。。。