幸幸草 | UNIV. of TSUKUBA Rowing Team

UNIV. of TSUKUBA Rowing Team

部員が日々の出来事や練習、試合の予定や結果についてかいています。
気楽に書きますので温かい目で見てください!

タイトルに大きな意味はありません。

くだらない意味しかありません。

随筆がどんなことを織り込んだ文章なのかも覚えてないけれど、日常の考え事などを気の向くままに書き連ねてみたいと思いました。

だからタイトルは「徒然草」。だけど別に今は辛辛じゃないから幸幸にしてみた。ただそれだけ。

(あんま詳しくないから徒然草と土佐日記を混同していて、女の子言葉でブログを書いてしまうところだったわよ。危ないわね。)

 

一応みんながブログを書く時には順番を決めて日替わりで書いていくのです。

しかし自分にとって今日こそがブログを書くのに最適な日だったため、順番を無視して書きます。

(後でSNS班の人に怒られるかもかもしれません。)

というのも昨日を持ちまして大きめの試験が終わりました。部旅行から昨日の試験まで、ほとんど心と体を完全に休めるタイミングのない怒涛の日々を送ってきましたが、ここでひと段落です。明後日からは解剖実習がスタートします。怒涛シリーズ第二フェーズ突入!といった感じでしょうか。

今朝は新人指導の乗艇をしてきました。楽しかったなあ。一年生が新しく入ってきてくれたことで霞ケ浦の空気が軽くなったような感覚がありました。それだけでなく、みんながめきめきと上達していくのを一番近くで見ることが出来るのがとっても幸せです。

今日(2024/5/11)は天気も良くて最高でした。こんな日は久石譲の「summer」をループ再生して一日を過ごすのがベストでしょう。この澄み切ったメロディが、ストレスを感じさせるシグナル伝達に関わる受容体(そんなのあんのか知らんけど)を拮抗阻害してくれます。

そんなわけで久しぶりに暇な休日を満喫しているわけです。

暇で、気分もよくて、試験明けで頭もクリアです。だから今日は今のわたくしの頭の中を全開放させます。結構自分勝手に書き連ねていきます。もしかしたら傑作になるかもしれないし、はたまた読みにくい駄作が出来上がるかもしれません。どっちかです。

 

早速行きます。皆様は「自分」という存在について不思議に思ったことはありませんか?「俺って何者?」「どこから来たの?」「死んだらどこ行くの?」ここら辺の問いのことです。一般的に多くの人間が思春期あたりでこの問いを持つようになるらしいです。自分もそのうちの一人でした。

答えに近しいのをようやく見つけることが出来たのが2年前くらい。答えのキーとなったのは「言葉」です。それまでは言葉について注目したことはなかったけれど、これの偉大さに気が付きました。「言葉」こそが人間を人間たらしめているのだと。

「言葉は世界を分節化する」

太い棒で地中から抜きんでたものを「木」と名付け、そこに付属する明るい色彩を放つ薄いものを「葉」と名付ける。自分たちを覆うものを「空」と呼ぶ。

そして自分自身、それと似ているものを「人間」、主体のことを「自分」と呼ぶ。こうして我々は「自分」という存在を世界、自然から切り離した。(分節化した)

「言葉」なくして我々は人間ではいられない。単なる自然の一部。今この瞬間、私の目の前でなす術なく、ひらりと地面に落ちていった葉っぱと同じ。人間には「言葉」がある。だからもしこの葉っぱが人間だったら、ただで落ちてたまるかと抗うんだろうな。

 

てなわけで「人間としての生を全うする」ためには何とかして「言葉」を駆使しなくてはいけないわけです。

「言葉を駆使?」これがよくわからなくて長く停滞していました。しかし去年この謎を解き明かしたわけです。

キーは「同じ」の感覚です。

我々が言葉を使うとき無意識に行っているのがこの「同じ」の認識です。

分かりやすく数学を例に出します。数学こそ人類が「言葉」を駆使した最大の例であると考えます。

「数学が出来ない奴は人間じゃない」と高校の同級生に言われて腹が立ったことがありますが、それは単なる煽りではなく、なかなかに的を得ているのであります。

「掛け算」。小学生で習うレベルの、もはや算数。これはもちろん数字を掛け合わせる作業のことを指す。でも数字だけでなく、あるものの量(感情とかいろいろ)でも同じように「掛け算」を用いることが出来る。「掛け算」の本質は「言葉」で言い表すのは難しいけれど、この「掛け算」という「言葉」がその本質をつないでいる。

 

そうか!「これとこれは同じなんじゃね?」の感覚を研ぎ澄ませば、物事の本質にたどり着けるんじゃないかなあ?

「もしかしたら宇宙の本質までわかっちゃったりして?ノーベル賞とれるやん」と一人ワクワクしだしたのが去年のこと。

 

自分なり「同じ発見」を3つだけ紹介します。

 

1「数学的帰納法とAnual Iventの確立って同じじゃね?」

 

これは前に丹にちょろっと話したことのあることです。

高校で数学を学んでいない人には難しいかもしれないけど、いわば本質は「ドミノ倒し」です。

ボート部は昨年初めて雙峰祭に出店し、成功を収めました。数学的帰納法でいうところの「n=1のときに命題は示せた。」

の段階です。

ここから毎年ボート部で雙峰祭を成功させるためには何をすべきかを考えるうえで、数学的帰納法の考え方をパクると「n=

kのときにn=k+1が成り立つことを証明する」つまりは引継ぎですね。メンバーが同じならここの証明は簡単だけれども、今年は新入生も多いです。ぜひ今年は「引継ぎ」に力を入れて絶対に雙峰祭を成功させましょう。文化班班長からのお願いです。

ボート部がこれから先、毎年雙峰祭を成功させて結束の強い部であり続けられるように!

 

2「お金と人望って同じじゃね?」

 

さっきよりも少しだけ抽象化します。

「お金のために働いている奴がお金持ちになることはない。仕事が好きで、好きでたまらなくて、仕事を愛したものにお金は後から降り注ぐもの」恩師の言葉です。この言葉があったから自分は自分の将来の職について真剣に考え、愛すものを自分のものにすべく全力を注ぎ、今があります。(代償としてお金に無頓着になりすぎました)

人望もこれと同じなんじゃね?と思うのです。

人望を得ることを目的として行動し、時に自分を犠牲にしてでも周りに感謝されることに満足すること。

これって間違ってない?と思います。

「お金」の例でいうところの「仕事」が「人望」でいうところの「仲間」に相当するのではないかと考えます。

「仲間」を愛し、好きでたまらなくて、これがなかったら人生の色彩がワントーン暗くなる。そんな風に思えたときに、「仲間」からの「人望」は初めて得られるのだと思います。「人望」は後から降り注いでくるもの。まずは「仲間」を愛すること。

 

3「摂取した砂糖が脳でエネルギーを産出するのと教科書をみてそれが脳で記憶されるのって同じじゃね?」

 

かなり飛躍しています。抽象的すぎるし、「はっ?」という感じだと思います。

自分もかなりこじつけた感覚があります。でも今年の年始に試験勉強に遅れをとり、なんとか急ピッチで勉強するしかなかった自分は無理やりこじつけるしかなかったのです。

簡単に話すと、人体の仕組みとして糖分を摂取すると血流によって脳にそれが運ばれてエネルギーとして使われる。

この仕組みは解明されているし、だれも疑うことがない。

口から摂取したものが脳に作用するメカニズムがあるなら、目から摂取したものも同じように作用するでしょ?

そういう風にこじつけました。信じ込みました。絶対にそうなはずだって。そうならなきゃおかしいって。

後から冷静に振り返って、これはこじつけが過ぎています。そんなわけないじゃん。目と口で脳に作用するメカニズムは全く違うし。

 

しかし、このこじつけは自分に新たな扉を開いてくれました。

「信じる」「信じ込む」ことの大切さです。実際に脳みそを洗脳してこの信じ込みを行ってみたところ、驚くほど記憶定着が進みなんとか試験勉強を驚異的なスピードで巻き返し、窮地を脱しました。

「あっ。信じ込めばそれが現実になるんだ」

自分のボート人生が新たなフェーズを迎えました。

 

「五大学で勝つ」

冬錬が始まった時から口にしてきた言葉。正直信じ込めていなかった。

逆に「東工に及ばない」ことを無意識のうちに信じ込んでしまっていた。

気が付いたのが春合宿序盤。

あわてて信じ込み始めた。「俺たちが五大学の優勝カップを手に入れる」

「一位でゴールを切る」「OBOGさんたちが笑顔で祝福して自分たちを岸で迎えてくださる」

「ラスト250mは東工の背中を見ながら漕ぐ」「岩堀匠を胴上げしてやる」

毎晩想像して自分の脳を洗脳した。何度も夢に見た。

雄たけびを上げながら起床したこともある。

 

だからこそ五大レース中、最後の250mで東工から引きはがされるのを感じたときは目の前が真っ白になった。

岩堀匠がレースの後に一人ぼんやりとコースを眺めているのを目にしたときには喪失感すら覚えた。

唯一、夢と同じだったのはOBOGさん、そして仲間たちが笑顔で迎えてくれたことだけ。

それが逆に情けなく感じ、自分に失望した。

 

「信じ込む」ことは何にも間違っていなかったと思う。春合宿で自分たちは大きく成長できた。

ただ相手も同じように勝つという確信をもってレースに乗り込んできていた。

相手に負けた。遅すぎた。相手は一年中五大で勝つことを信じて練習していたのだろう。

1か月やそっと信じようと努めた自分がかなうはずもなかった。

 

新しい1年が始まった。     

                  森田拓海

 

 

P.S

「信じ込む」の感覚。思い返せば、冬錬開始時から後藤さんに言われ続けていたことだった。

今でも覚えている。この感覚をつかんだ時に戸田のお風呂で後藤さんにこの話をしたときのこと。

「ようやく追いついてきたな」みたいな反応で返された。

常に自分たちの一歩先を行く人なんだなと感じた。

後藤さんに追いつき追い越せるよう精進します。

 

五大後の自分は順調であります。

しかし、自分は「人生いいこと悪いことの繰り返し説」をわりかし信じています。

人生は波であると。

光や音、様々なものが波で伝わるように。(あっ。同じだ!)

なんでか知らんけど、自然には波で物事が伝わっていくと良いことがあるんだなー。

でも次に下振れの波が来ても何ら動じることはありません。

わたくしの人生だけでなく他の人の人生も波だとしたら

波の強め合いだって、打ち消しあいだってできるはずだもん。